NO |
表 題 | 期 日 | コ メ ン ト | 備考 | |
66 | 蓬莱のイタリアンレスの枝垂れ桜 | 2022-4-5 | 「いつものように幕が開き 恋の歌う私に・・・」・・・シダレサクラが満開でした。食べたパスタセットも良かったが・・・団子より花・・・で見とれてしまいました。下段は裏庭のソメイヨシノです。遠く見える比良山頂には残り雪が少々・・・。 | ||
67 | 三井寺・疏水の桜 | 2022-4-7 | 三井寺の桜のライトアップを撮ろうと狙っていましたが、明日は海津大崎の桜の予定が入ったので急遽昼間に変更し、三井寺→疏水を単独行しました。さすがは三井寺、満開の桜を満喫出来て大満足でした。 | ||
68 | 海津大崎を回遊しました | 2022-4-8 | 「鳰の会」フルメンバー(6名)で 屋形船をチャーター。ゆっくりと海津大崎を回遊、行く春を惜しみつつ観桜しました。晴天に恵まれ、ジャスト満開の桜を存分に楽しむ会になりました。帰途は恒例のスイーツ&コーヒーでお喋りタイムを楽しみました。 | ||
69 | ミホミュージアムの枝垂れ桜 | 2022-4-15 | 今年最後の桜見物に滋賀県甲賀市信楽町の枝垂れ桜見物に友人Mさんとでかけました。予想通り桜は散り始めでしたが、それなりに風情があって十分価値のある観桜となりました。 世界的に有名な建築家が桃源郷をイメージして設計したトンネルとミュージアムは一見の価値ありです 。 |
||
70 |
沙沙貴神社のなんじゃもんじゃの木 | 2022-5-8 | なんじゃもんじゃの木が満開と聞き「鳰の会」一行は日野町の沙沙貴神社へ直行しました 大量の雪を冠ったような佇まい、確かに満開だ。雪のように見えるが、アップで撮ってみると思ったより繊細な花が咲いている。。 |
||
71 | 湖西浄化センター・バラ園 | 2022-5-19 | アクテイィバ琵琶主催の湖西浄化センター内の「バラ園ツアー」に妻と一緒に参加する。歩くと汗をかくほどの暑さ。輝く琵琶湖、聳える比叡山の峰に囲まれてバラ園がある。帰途「花街道」のカフェで休憩を兼ねたお茶会。 | ||
72 | エクシブ京都八瀬離宮の新緑 | 2022-5-24 | 妻の人工透析(週3回)ストレスを少しでも癒すために、久しぶりの旅行(2泊3日の近場トリップですが)に出掛けました。これまでは「桜と紅葉」を追っかけていましたが「新緑」も中々のものだと知りました。 | ||
73 | 草津「水生植物園」の睡蓮満開 | 2022-6-17 | 「水生植物園」の睡蓮が満開になったという新聞記事を読んだ友人の勧めで琵琶湖大橋を渡って植物園へ。色とりどりの睡蓮が咲き乱れていました。「歩こう会」のメンバーらしき地元団体もいて活況でした。 | ||
74 | 守山市「芦刈園」に紫陽花を観る | 2022-6-17 | 守山の「水生植物園」から草津の「芦刈園」まで隣り合わせといってよいくらいの距離ですが、此方も紫陽花が満開じょうたいでした。幼稚園児の遠足から若者のデート、一人ぽっちの老人まで・・・幅広い人たちで満員状態でした。満開+満員です。 | ||
75 | 醒ヶ井宿に咲く水中花「梅花藻」を撮る | 2022-7-12 | 中山道の第61番目の宿場街として知られる醒ヶ井宿。山裾を縫うように流れる清流「地蔵川」に咲く水中花「梅花藻」が盛りだと聞いて撮影に出かける。梅花藻は清涼で流れのある清流に生息し、初夏から初秋にかけて水中に咲く梅の花に似た可憐で小さな花。水温14℃くらいの冷たい水を好むので北日本に多いという。 | ||
76 |
37年ぶりに咲いた「リュウゼツラン」 を観る |
2022-7-23 | 37年ぶりに「リュウゼツラン(龍舌蘭)が開花したと友人Oさんに聞いて早速カメラ片手に湖西の和邇の民家まで出かけました。リュウゼツランを見るのは初めてですが、想像をはるかに超える背の高い木でした(6~7m)。南北アメリカ大陸に広く分布し、メキシコでは茎などから「テキーラ・ブルケ」等の酒を造り、熱帯地方では葉の繊維を利用して織物や綱を作るといいます。 | ||
77 | 神秘的なカラスウリの開花 | 2022-8-7 | カラスウリの開花時期は7-9月の真夏。日暮れと共に花が開き翌朝日の出前に萎むのが通常だという。実が成るのは10~11月。カラスウリは雌雄異株なので受粉のためには媒介者が必要で、夜行性の蛾を引き寄せるために蜘蛛の巣のような花を広げるのだといいます。カラスウリの花筒は永いのでスズメ蛾クラスの長い口吻を持つものでないと花の奥にある密に到達出来のだそうです。 | ||
78 |
「三橋節子美術館」を訪れました | 2022-8-18 | 予てからの宿題だった「三橋節子美術館」をやっと訪問しました。彼女の作品との対面は約半世紀ぶりのことです。大津市におの浜に住んでいた頃近くのデパートで行われた彼女の「遺作展」の会場が初めての出会いでした。。彼女が35歳で利き腕を癌のため切断し、左手に絵筆を持ち替えて奇跡のカムバックをしたのですが、癌は転移していて翌年、夫と5歳と3歳の子供を残して夭折した日本画家であることを知ったのです。私の好きな作品「花折峠」は展示室の中央に飾られていました。 |