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   112  湖北の夕景  2024-2-12  かねてから長浜の夕景の美しさを写したいたいものだと思っておりましたが、帰りが遅くなるので
行きそびれていました。今回偶々彦根・長浜へ脚をのばす機会があり「湖北の夕景」をカメラに収めてきました。生憎の天候のため夕日が沈むところは雲にに隠れて撮ることは出来ませんでしたが、
湖北の夕景は水中木や竹生島の彼方に夕日が沈む所はなかなかのものでした。
 
   113  アクティバ琵琶の中庭に咲く梅花 2024-2-13 アクティバの中庭の梅の花が昨年より二週間も早く開花しました。この調子だと桜も相当早くなるのではと気をもんでいます。  
   114  伊吹山とヤンマー会館  2024-2-12  湖北の夕景を撮るついでといっては申し訳ないのですが、FBで見かけたドイツ風の尖塔が心に引っかかっていたので、この機会に脚を延ばしてきました。「伊吹山と尖塔」如何でしょうヤンマーの創業者(山岡孫吉氏)生誕の地で、私費で寄贈したとのことです。初めて知ったのですが、山岡孫吉氏が訪独された折にディーゼル博士から教えを受け「ヤンマーディーゼル」の開発に成功したと
いう歴史があるようです。これを記念してドイツのゴシック様式の尖塔にされてと聞きました。
 
   115 藤井彦四郎邸の雛人形  2024-3-6  近江商人で有名な東近江市五個荘を訪れ雛巡りをしました。豪商たちの秘蔵の雛人形が展示されています。「売り手よし 買い手よし 世間よし」の三方よしの近江商人の経営方針が再評価されています。天秤棒をかつぎ関東はおろかついには北海道まで手を伸ばした「のこぎり商法」(は当時の各藩毎の閉鎖的経済体制にとって補完的な役割を果たすものでした。藤井彦四郎氏は繊維で頭角を現し、日本における化学繊維のパイオニアといわれる。後に会社を弟に譲り自らは衆院議員となる。  
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 「清湖雛」・・中村準五郎邸  2024-3-6  「清湖雛」の作者で知られる人形師・東之湖氏は五個荘に拠点を置いて活動を続けている。「近江八景」をなど滋賀をテーマにした「清湖雛」が近江商人・中村準五郎邸に飾られている。近江八景を夫々取り入れた雛人形に「十人囃子」と「六人官女」を加え、新しい装いになっています。
NHK大河ドラマ「光るきみへ」が放送開始にちなんで、紫式部が着想を得て「源氏物語」を書き始めたといわれる石山寺では各種の催事(清胡雛の展示等)が行われています。
 
   117 恒例「ヨシ焼き」アクティバ前のヨシ原  2024-3-9  コロナ禍で中止を続けていた恒例の「ヨシ焼き」が昨年ようやく規模を縮小して復活しましたが、今年はかつての規模に完全復活、三月九日に大津市内七カ所で華やかに挙行されましたが、我が「アクティバ琵琶」前湖岸のヨシ原でも多くの参加者を集め午後7時に松明に点火されました。
 ヨシはヨシ刈りやヨシ焼きによって殺菌・雑草駆除によって春の新芽の成長を促すと共に、琵琶湖の水の水質浄化、琵琶湖固有の魚や水鳥の産卵場所・棲家になっていて琵琶湖の景観保持と生態系に大きな役割を果たしているのです。
 
   118 太閤桜と琵琶湖疏水の桜   2024-4-8  今年は天候不順のため桜見物の日程決めることが大変困難でした。4/8は元々他の日程が入っていたのですが、開花が贈れているとのことで変更、ぽっかり空白になり、急遽予てから気になっていた坂本・日吉大社近くの「太閤桜」を身に行くことにしました。単独行です。太閤桜は元々延暦寺の里坊だった「薬樹院」の庭内に咲く樹齢4~500年(推定)のシダレサクラですが、院主であった薬樹院全宗が豊臣秀吉の親任厚い侍医であったことから「太閤桜」と呼ばれるようになったといいます。庭内は観覧客が入ると樹の成長に悪影響が出るということで非公開ですが。巨木なので園外からでも撮影は可能です。  
  119  枝垂れ桜と浮御堂  2024-4-17  浮御堂から北へ2~300m、人の目に付きにくいところに咲く一本桜です。丁度遠景に「浮御堂」が入るという絶好のポジションです。撮影者は私一人なのでゆっくりのんびりで楽しみました。
 
  120  草津・三大神社の「砂擦りの藤」
 2024-4-26  三大神社の名は明治初期に始まる比較的新しいのですが、由緒は天智天皇に遡るといいます。藤の花は摂政・関白の任にあった藤原氏がその隆盛を祈念して植樹されたと伝えられています。
穂が長く2mにも及ぶというので「砂擦りの藤」とも呼ばれています。GW突入の前日足早に勧奨して参りました。