ふくちゃんの「暇つぶしの独り言」     14-10-1  
      反戦を唱えた「万朝報」も世論に押され最終段階では主張を変え、開戦に慎重だった山県有朋・伊藤博文等の元老も、ついには開戦論に傾斜して行きます。
 本書は「日露戦争に至った経過」「その後の日本への影響」を追及しようとするのですが、公式文献だけでなく個人の日記・手紙類にまで幅広く目を配ることで厚みが加わり、臨場感と説得力を増しています。
 日露戦争の勝利は、各国から高い評価を得た反面、国民の一等国意識・選民意識を必要以上に強め、次第に夜郎自大化して行きます。戦術的には、「艦隊決戦主義」「白兵戦突撃主義」が中心になり、「大和魂至上主義」を鼓吹するに至ります。
 日露戦争が、大国主義(軍事国家)をとるか、小国主義(通商国家)をとるかの分岐点だったのですね。
 「勝って兜の緒を締めよ!」(北条氏綱)です。  


「日露戦争史」

全三巻

半藤 一利著

平凡社


平成24年版

各1600円
  不凍港を求めて膨張政策をとるロシア、朝鮮・満州を国防の生命線と考えていた日本、そして列強干渉のもと近代統一国家未成立の朝鮮・中国、この三者が主役となる東アジア情勢の中で日露戦争は起こりました。
 国力十倍、軍事力五倍の強国ロシアと戦った「日露戦争」と日本勝利の結末は、世界に大きな衝撃をもたらすと同時に、日本のその後にも決定的な意味を持つことになります。「昭和史」「幕末史」で、日本の変化する姿を見据えた著者の目が、次に「日露戦争」に向けられたのは当然の帰結でしょう。
 日清戦争で得た権益を三国干渉で失ったことを背景に、北清事変後も満州から撤退しないロシア軍に対する日本民衆の不満は、「征露論」を説く新聞、東大七博士の対露開戦の意見書等に押されて、次第に「ロシア撃つべし」に傾きついには熱狂的な開戦論に至るのです。  




勝って兜の緒を締めよ