ふくちゃんの「暇つぶしの独り言」     14--
  
       しかも「民意・大衆」の実体は、「想像された民意・大衆」、つまりは実体の無い「大衆の幻像」で、幻像としての世論が飛び交い、それが再び世論に還流する「再帰性の循環」が起こっていると指摘します。
  現代日本社会を包む「空気」の正体は、実は「大衆の幻像の循環」であり、実体がないだけに容易に終わるものではない、と将来に悲観的です。
  「それでも日本社会が現実に存続しているのは、美しい『実直型』ともいうべき人々の営為が一定の厚みを持ち機能しているからだ」とし、この社会病理克服の担い手を、パフォーマー型政治家や官僚型知識人ではなく、「己のすべきことに没入する職人型」「お天道様に恥じないと自負する実直型」の人々に期待するのです。
 「幻想民意」の妖怪退治には、自律した「個」が必要です。現在はその道程にあると信じたいのですが。   


大衆の幻像」

竹内 洋著

中央公論社

平成26年

2300円
  ポピュリズム政治が蔓延しています。日本だけでなく先進諸国共通の悩みのようです。だとすると、これは民主主義の属性なのでしょうか。いったい解決の処方箋はあるのでしょうか。
 1970年代に現れた新中間層の影響力が次第に高まり「大衆社会」が誕生、ついには、民意・消費者・納税者が正義として神棚に祭られ、「大衆高圧釜社会」が誕生したと著者は分析します。
 「大衆目線・民意」が知識人のそれに代わって最優位に置かれ、「上から目線」は禁句となり、政治家と有権者も「負託ではなく委任」の関係に近く、政治手段としてのポピュリズムではなく、迎合そのものが目的の超ポピュリズムの段階にあると鋭く追及します。更にこの現象は政治の世界に止まらず、テレビ文化人や芸術の世界にまで広がっている現象だと著者は言うのです。

我々は「大衆高圧釜社会」にいる