日本一を誇る幌加内のソバ栽培・・・縄文初期の遺跡が語る    15-8-1
北海道へのソバの伝播経路は未だに解明されていない。南茅部町の縄文初期末の「ハマナス野遺跡」から一粒のソバが発見
された。これが北海道最古の大陸起源の栽培植物だった。北海道における蕎麦の歴史は古い。縄文時代から栽培されていた
ことは、その他の遺跡発掘によっても実証されている(山田悟郎論文)。元禄8年(1695)、松前藩は大凶作に襲われ殆どの農作
物・種を失う不運に見舞われたが、南部藩からのソバ・粟・小豆等の種子で危機を乗り越えて来た歴史もある。米栽培不適地ゆ
えに雑穀への依存は高く、ソバ栽培も幕末には道南部にかなり普及していたが、明治2年開拓史が置かれ農業奨励策(菜種と
ソバの増産)に拍車がかかったのである。今日の日本最大生産地になる基礎はこの時に作られたといえよう。
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八右ヱ門(2015-7-29) 上段:八右ヱ門の盛り
下段:レーク朱鞠内の蕎麦
上段:幌加内高校、下段:雪の御殿


国道275号線沿い40kmに渡って蕎麦畑
が続く、その中に蕎麦屋10軒が点在。
「八右ヱ門」はその中でも定評ある蕎麦
屋である。行列が出来る。以前は旭川で
営業していたが、数年前に現地へ移転。
上段:八右ヱ門の「二種盛り」(現地産粉
の「二八の細切り」と「十割太切り」)。
下段:レークしゅまりないの盛り蕎麦。
幌加内高校出28歳の青年が私達のため
に特別に打ってくれた蕎麦(三段重ね)。
 
町立の「幌加内高校」は正規授業に蕎麦
打ちと文化史の授業がある日本で唯一
の学校。全国高校蕎麦打ち大会では優
勝常連の学校である。下段は、ひと夏越
えても味の変わらない低温貯蔵庫。
 
幌加内とソバ 「幌加内には雪が二度降る」という。確かに白いそば花の絨毯は、見渡す限りの雪原にも見える。その広さ
は3200ha(4km×8km相当)、収量3000トンを誇る日本最大のソバ産地である。昭和40年に始まった米の減反政策が発端で
あった。代替作物が色々試されたが、寒冷地であるがゆえに次々と失敗が続き最後にソバが残ったのだ。冷涼な気候・昼夜の
気温差・日中の温度上昇を緩やかにする朝霧の発生など、ソバ栽培に適する自然環境に恵まれたこともあった。町内にはひと
夏越えるための貯蔵庫「雪乃御殿」、「そば」が正規授業の町立幌加内高校もある。毎年8月には「幌加内町新そば祭り」が催さ
れ全国から人が集まる。幌加内は「そばの町」だ。守田前町長はそば打ち5段(最高位)であることを付記しなければなるまい。
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