関西に「熱盛り蕎麦」は健在である            08−6−21
 関東と関西の蕎麦の違いは急速になくなりつつある。だが、「更科蕎麦(純白の蕎麦)」は関東に多く関西に少ない。また「熱盛
り蕎麦」は関西にはあるが関東には少ない、と思う。何故だろうか。
盛り蕎麦は”冷たい”ものと思い込んでいる向きが多いが、実
はそうではない。冷した盛り蕎麦をもう一度湯通し、せいろに盛って湯気の出る状態で客に出す。江戸時代、まだ手打ち技術が

低かった頃は、つながりが悪く蕎麦がぶつぶつに切れていた。
そのため「茹でる」よりも「蒸す」ことが流行った時期があった
「せいろ」はその時代の名残と言えよう。話は変わるが、「熱盛り」と「敦盛」をかけて店名にしているところがある。一の谷ので破
れた平家の公達「平敦盛」の塚があるのは兵庫県・須磨浦、その塚前の蕎麦屋「敦盛そば」と京都の「竹邑庵太郎敦盛」である。
ちく満(堺)  08-6-20 竹邑庵太郎敦盛(京都)  08-5-8 敦盛蕎麦



 千利休住居跡近くにある。両隣は工場、
一階は畳敷きの広間に小卓が20程。二階
にも客席がある。品書きは無し。「熱盛り
蕎麦」のみ、注文は量(1斤・1.5斤・2斤)
だけ。白木の蓋つき蒸籠と卵・刻み葱・山
葵の薬味。創業は元禄8年(1695)という。     
 烏丸・丸太町駅から5分。行き止まりの
横丁にある。1Fの座敷は民家の居間と
同様。白木の蓋を開けると湯気が立ち上
がる。大量の青ねぎと卵黄と山葵を混ぜ
蕎麦をつける。食感は柔らかい。女将以
下従業員は女性。東京にも分店を出した。 
 上段:「ちく満」の熱盛り1.5斤、湯気が立
ち上っている。下段:竹邑庵の薬味、卵と
青葱・何故か梅干が一つ。徳利は熱くて
手では持てない。1斤は160匁(600g)で
はなく蕎麦屋の通し言葉(符丁)。竹邑庵
も1斤・1.5斤、2斤の三種があるだけ。
「手打ち」と「機械打ち」 江戸時代の蕎麦は全て手打ちであった。明治中盤になると便利な機械が発明されて機械打ち全
盛時代を迎える。昭和47年名人片倉康雄氏が「手打ち蕎麦道場」を新宿に開いたのが、滅びかけていた「手打ち」が見直され
る切っ掛けになった。「手打ち」と「機械打ち」に味の差はあるのか。「手打ち」は延しに強弱が
つき麺体に無数の襞が出来るが、
ローラーで延すと表面は均一になる。これが”つゆがらみ”と食感の違いを生むともいう。また機械打ちは加水量が少ないため
茹で時間が長くなり切り麺の外側が溶けてしまうので、
これが味の差になるという。老舗の繁盛店で水回しと練りまでを職人が、
伸しと包丁は機械に掛けるところがある。業態と客数により工夫を凝らしているが、「売り切れ御免」もまたやむ得ないのだ。
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