奮闘する女性蕎麦職人たち                08-8-23記
 女性の蕎麦を打ちは決して珍しい話しではない。郷土蕎麦の打ち手はもともと主婦がであった。母親から娘へと代々受け継
がれていったものである。嫁入り道具に蕎麦打ち道具が入るのは当然のことでもあった。今日のように蕎麦打ちが家事から独
立して職業化する時代であっても、女性職人の数が半端でないのは、この遺伝子のなせる業なのかもしれない。アマチュアの
世界でも女性の進出は目覚しい。全国のアマチュア蕎麦打ち最高段位は5段だが、8名のうち一人は女性である。女性有段者
の数は優に300人(平成20年)を超えるという。
蕎麦打ちは「力ではなく技である」とはいうものの、女性にとって肉体的な負担は
少なくないい。このハンディキャップを乗り越え、女性の繊細な感覚や優しさがきっと蕎麦打ちに活かされているに違いない。
さか本(奈良) 07-10-25 ろあん鮎美(西) 08-7-7 蓮生(福島) 08-8-8
 蕎麦打ちを姉弟でやっている店が奈良
女子大前にある。「三種蕎麦」(更科・挽き
ぐるみ・田舎)がメインの品書きだ。更科・
挽きぐるみはお姉さん、田舎は弟さんの
担当だという。微笑ましい風景である。
 篠山の名店「ろあん松田」の娘さんが
修行のため開店したお店。平成21年に
閉店した。
 狭い横丁にある。奈良の名店「春知」で
6年学んだという。師匠の「蓮は泥より生
ずる」の書が飾られている。これが店名
「蓮生」の由来らしい。蕎麦はあくまで黒
く、強くしっかりしている。  
蕎麦湯の楽しみ 蕎麦に「蕎麦湯」は付き物である。蕎麦湯が出て来ないと何とも収まりがつかない。蕎麦湯の始まりは
信州であると「蕎麦全書」(日新舎友蕎子・1751)にある。友蕎子が諏訪(長野県)の旅館で蕎麦を食べてところ、蕎麦の後に直
ぐ蕎麦湯が出た。江戸では麺の毒を散らすために「豆腐の味噌煮」を出すが、何故信州ではでは「蕎麦湯」なのかとたずねる
と、旅館の主人は「食べた蕎麦が胃に落ちつき胸がすっきりする」と答えが返ってきた。江戸へ帰った友蕎子が知人に「蕎麦
湯」を振舞うととすこぶる評判がよい。
そのようなことから江戸でも蕎麦の後に蕎麦湯を出す習慣が広がったになった、とある。
最近では、茹湯とは別にソバ粉に湯を加えて濃厚な「蕎麦湯」を出す店が増えた。黒姫(長野)の「ふじおか」が初だという。
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