北海道開拓とソバ栽培の足跡        15-10-1
 北海道開拓は飢えとの戦いであった。寒冷地のため米の栽培に適せず収穫がないため、松前藩は一万石とされたが実質は無石
の大名だった。倭人の定住につれ農作も次第に進んでは来たが、江戸後期に蝦夷地巡察史として派遣された最上徳内は上司へ
の書状に「風が強く倒伏を恐れてソバやヒエの栽培が進まない状況」を報告している(「そばの歴史を旅する」鈴木啓之著)。それで
も幕末には南北海道各地の開発が進みソバの栽培もかなり普及していたと見られる。明治元年(1868)米山蕎麦店、6年後に東屋
が小樽に開業。明治2年函館に開拓使が置かれソバ栽培がいっそう促進されるようになった。明治10年ソバ製粉のため水車場が落
成し明治30年函館麺類組合設立した。函館に麺類飲食業組合によって立派な「蕎麦百年碑」(平成9年建立)が立てられている。
竹老園東屋総本店(釧路)  15-8-21 蕎麦百年碑〔函館) 藪半(小樽)  15-8-23 

明治7年(1874)に小樽で創業。その後、
函館を経て、明治45年(1912)釧路に転じ
、昭和7年に現在の「竹老園」となる。昭和
29年・天皇皇后両陛下来店。お替りをした
といわれる。神田藪」と同じ「緑色の蕎麦。
 
 平成9年に函館麺類飲食業組合によっ
て建立された「蕎麦百年碑」。高田屋嘉
平像の近くに建つ。
「藪半」名前の由来を聞くと、先代がせめ
て東京神田の「藪」の半分にでもなれれ
ば、と念じて付けたと言う。創業は昭和29
年、店の奥には蔵座敷がある。荘重な雰
囲気のなかに蕎麦屋らしい活気もある。
 
 
蕎麦とお酒 江戸の昔から蕎麦とお酒は切っても切り離せない関係にある。日本酒が「蕎麦前」と呼ばれるのは、当時、蕎麦
はお客の注文があってから打たれていたので、待ち時間をつぶすために酒とつまみが用意されたことに始まるという。ところが近年
、「蕎麦前」という言葉に極めて理のあることが分かって来た。アルコールは食欲増進・ストレス解消・疲労回復・血行改善など、利
点も多いが中性脂肪を増やし脂肪肝・肥満の原因になるリスクも高い。ソバ粉は栄養(良質のたんぱく質・食物繊維・各種ビタミン・
ミネラル)が豊富なのだが、ビタミンに似た物質である「コリン」も併せ含有している。コリンは肝機能の向上・脂肪肝・動脈硬化・血
圧降下等に有効で、愛飲家が一番心配する肝臓の酷使を和らげる働きがある。適量の蕎麦前を頂きさっと盛蕎麦で締める。最高。
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