北海道へのソバ渡来経路の謎                16-3-1
北海道・南茅部町の「ハマナス野遺跡」から一粒の「ソバ」の種実が発見された。それは縄文時代前期末層の約20cm上部だった
という。道内ではこのほかに縄文後・晩期の遺跡十数箇所から「ソバの花粉」が発見されている。アサやゴボウと共に「ナラ林帯
文化」として沿海地方・サハリンを経由して到来したという「北方渡来説」が根強く唱えられる。ところが沿海・サハリンには「ソバ
栽培」の痕跡が無い上に、縄文時代のソバは石狩平野以南でしか発見されていない。一方本州では九州から東北まで縄文後晩
期までには各地で栽培が行われていたことが明らかになり、伝播経路についても、朝鮮半島を経て日本に至ったことがDNA分析
で判明している(1995)。このため北海道への伝播も「南方伝来説」が有力なのだが。過ぎこし歴史への夢は広がるばかりである。
藤乃(大阪・福島) 16-2-12 「藤乃」の鴨南蛮と「嬉遊笑覧」 荒凡夫(大阪・天満) 16-2-5

蕎麦と河内鴨の親子丼のセットメニュー
が昼間の看板メニュー。夜は鴨の鍋物・
すきやきのコース料理になる。こじんまり
した綺麗なお店。厨房は男三人が忙しそ
JR神福島から近いのは便利。
上段:せいろ蕎麦と鴨親子丼のセット。
蕎麦は喉ごし良好。やや蕎麦汁の甘い
のが多少難点か。 下段は:「嬉遊笑覧」
(喜田川信節著・1830年刊)、江戸時代
の風俗・習慣・歌舞音曲を描いた随筆。
三重県から一昨年大阪へ転居した。片
倉英統さんの弟子(そば道場卒業生)、
粗挽き十割は北海道黒松内町産(奈川
在来)。味が濃く、穀物らしく重たい。二
八は福井丸岡産。いずれも美味。
 
 
鴨南蛮 「鴨南蛮」の歴史は古い。「守貞謾稿」(1837〜)に「また鴨南蛮と云ふあり、鴨肉と葱をを加ふ。冬を専らとす」とあり、
「嬉遊笑覧」(1830)に「鴨なんばんは馬喰町橋づめの笹屋など始めなり」とあるため、文化年間(1804〜1818)に発売されたとい
うのが定説となっている。南蛮は元々中国で使われた言葉で、自国の周りを野蛮な国として夷東・西戎・北狄、南の野蛮国を「南
蛮」と呼んだことに発する民族的差別用語であった。日本でも室町時代末期からタイ・ルソン・ジャワ等との貿易が始まると、これ
ら南洋の国を「南蛮」と呼び、ついにはポルトガル・イスパニア人にもその呼称が広がったのである。葱を南蛮と呼ぶ経緯は不明
だが、西洋人が殺菌・消毒のため葱を好んだためともされる。大阪では「なんば」と呼ぶ、難波が葱の産地であったためともいう。
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