徳川家への「献上そば」に寒晒しそばも・・・         16-4-1      
 徳川将軍家への全国各大名からの物品の献上は、参勤交替・お国替等と並んで統治の有力な手段であった。したがって献上も
任意に行われるのではなく、格式に応じて厳しく決められていたのである。献上時期は「御太刀金銀馬代(年始・八朔)・御時服献上
(端午・重陽の節句)・時献上(四季の特産)」の三種に分かれていて、前例主義により毎回同じものが献上されたという。時献上の
折に「そば」も贈られていたことが「大名武鑑」に記されている。上野国小幡藩・同館林藩・同沼田藩・下野国大田原藩・信濃国飯山
藩・同諏訪高島藩・同高遠藩・武蔵国岡部藩・出羽国天童藩の九藩である。大半が現在もなお蕎麦処として広く知られている。諏
訪高島藩と高遠藩は「寒晒蕎麦」を贈っていた。寒晒しの技法は永い間姿を消していたが、十数年前ようやく復活したところである。
芦生(大阪・なんば) 15-1−22(再) 芦生の寒晒蕎麦と「大名武鑑」 ゑつ(豊後高田) 15-5-29

関西で唯一の「寒晒蕎麦」が食べられる
お店。福井産の蕎麦を信州上田に持ち込
み寒晒しを毎年一月に行う。1380円という
確りした値段だが、雑実が取れた清涼な
味わいは推奨物である。
 上段は「芦生」の寒晒蕎麦。寒流に漬
け、寒天に天日干しした玄ソバを剥き、
一番粉を打った。下段は「江戸幕府・
大名武鑑編年集成」1〜18巻。高槻市
図書館でようやく閲覧が出来た。
 豊後高田で最年少の蕎麦職人・河野さ
んが営む。豊後高田の町興しは2001年
に始まるが、そばもその一環として、ソバ
の新種開発・無農薬・蕎麦屋開店を促進
した。「ゑつ」もその中の一店である。
 
梁越そば饅頭 長野県川上村の伝統的な郷土食である。「熱い灰の中で焼いた蕎麦餅を草鞋穿(わらじばき)で焚き火に温ま
りながら、その「ハリコシ」を喰い喰い話するというが、この辺りのでの炉辺の楽しい光景なのだ」(「千曲川のスケッチ」)と藤村は「梁
越そば饅頭」の説明をしている。ソバ粉を入れた椀に水・味噌・生姜・葱を入れて団子状にして、梁を越える程の高さまでくり返し放り
上げ形が整ったら囲炉裏の灰の中で焼くところから「梁越」の名が付いたのだ。空中に放り上げることで饅頭の中に適当に空気が混
るので硬くならないのだという。信州には独特の「そば文化」が今なお残っている。冠婚葬祭に必須の「投汁(とうじ)そば」や乳酸菌発
酵させた漬物を刻んでそば汁に入れる「スンキそば」、千切り大根にそばの溶き汁をかけてそば切りように見せる「早そば」等である。
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