深大寺の門前蕎麦を訪れる。  元禄時代に思いを馳て・・ 08-11-19記  
蕎麦切りと寺院の関係は古く深い。東京・深大寺、長野・善光寺、石川・永平寺、島根・出雲大社等のように寺社前に集まった蕎麦
屋で供される蕎麦を「門前蕎麦」というが、寺社が檀家の人たち振舞うそばは「寺方そば」と呼ばれ、例えば深大寺のように山裾に
位置しているため湧き水が多く、また寒暖の差によって霧が多発するなど蕎麦の栽培環境に恵まれたこともあって、寺内で打たれた
蕎麦はすこぶる評判が高く、元禄時代の江戸市民憧れの的であった(「蕎麦全書」1751)とも伝えられている厳しい修行をする僧
たちにとって蕎麦は大切な栄養源であったであろうことが推察される。深大寺ソバの種子は既に絶滅してしまったので「真の深大寺
蕎麦」を味わうことはもはや叶わないのだが、。昭和40年代頃から門前に蕎麦屋が軒を並べ始め現在26店を数えるに至っている。
湧水 08-11-11 松葉茶屋 08-11-11 深大寺山門と蕎麦碑

深大寺門前蕎麦屋の代表的な店の一つ
と聞いた。「湧水(ゆうすい)」の名前が往
時を思い起こさせる。10卓ばかりの座敷
と椅子席。「湧水そば」が売り。福井の粉
の二八。やや硬めの細切り。
深大寺の真裏に二軒並んだ店の一つ。
店内に「ナラ」の大木が天井を貫いて植
えられているいる。高さ30m樹齢二百
年とのこと。
庭では焚き火。常陸秋蕎麦
の十割、
硬くて黒い。出汁は辛く濃い。
朱色・茅葺の山門は大規模改修中で
念ながら写真不撮。ずネットから拝借。
したもの
下段の「蕎麦碑」には「門前の
蕎麦はうましと誰もいふ この環境のみ
仏ありがたや」とある。
蕎麦屋のネーミング 蕎麦屋の屋号は色々ある。屋号の前に「生粉打ち」「手打ち」「十割」などをつけている店も多いのは、
江戸時代以来
紛い物の多い中で我こそ「真正の蕎麦」を打つ店であることを訴えようとしたためであろう。また蕎麦屋には「庵」を名
乗る店が多いのは何故か。享保〜天明の頃、浅草・称往院の中に「道光庵」
があってその庵主が三代にわたって蕎麦打ちの達人
が続き、参詣者に蕎麦振舞をしているうちにいつしか評判になり、寺院でありながら江戸
随一の打ち手と称されるようになってしま
った。宗門精進の妨げになると考え、称往院が
「蕎麦打ち差し止め」を布令し禁制の石柱を寺内に立てたほどであったという。これ
にあやかりたいと「庵」号をつけるのが流行りになったと伝えられる。
今日も全国で「庵」の屋号が多いのは往時の名残であろう。
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