戦時中の食糧増産・・・北海道へソバ栽培支援隊3000人派遣    16-8-1     
昭和18年6月4日、1つの議案が閣議決定された。「休閑地の動員による雑穀増産などの食糧増産応急対策要綱」がそれである。
2月・ガダルカナル島撤退、4月・山本五十六連合艦隊司令長官戦死、5月・アッツ島玉砕。日本の敗色が鮮明になり、国内では
コメを中心に食糧需給がいよいよ逼迫していたのである。北海道庁は7000haの報国農場を指定し、三分の二をソバ栽培に充て
ることにした。それに呼応して東京のそば屋4000軒から3000人が三期に分かれて北海道に渡り各地でソバ植えに従事したので
ある。昭和16年4月からは「配給制度」が本格化し統制が更に厳しくなった。そばの公定価格も「もりそば10銭、天ぷらそば30銭」
に決められたという(東京府告示・昭15・8)。次第に「そば」どころの話ではなくなり、蕎麦屋の廃業も相次いだと伝えられている。
鶴華・波積屋(島根・出雲) 16-5-26 「オリンピックエンブレム」と「そば猪口」
ジャパンブルー
鼓道(大阪・豊中) 16-7-1

築200年の古民家、すべて座敷である。
「鶴華」は故初代ツル女(95歳の長寿)
の名。彼女が創った出汁の味を今日も
守る。「そば庄たまき」が山陰地方に展
開するチェーン店。そば道場も併設。
上段は言わずと知れた2020年東京オリ
ンピックのエンブレムである。日本古来
の組市松模が採用された。
下段:藍染め市松模様のそば猪口。
様々な種類がある、その数千ともいう。
 昼は「そば」、夜は「鴨と地鶏とワイン」
が売り物の開店3年半の新進気鋭の店
「森の小さな酒造り」がコンセプトという
から凝っている。夜一度訪れたいお店で
ある。女性客が多い。狙い通りか。
 
ジャパンブルー 「出藍の誉れ」の故事の語るごとく、藍の歴史は古い。我が国への伝来は奈良時代、インドから中国大陸
・朝鮮半島を経てやって来た。.最初の栽培は出雲という。鎌倉時代には武士が「勝ち色」と呼び縁起色とされた。江戸時代になる
と木綿が庶民の生活着になり、町中至る所にに染屋(紺屋)が増えた。明治15年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は日
本の第一印象を「着物地は紺色が大部分を占め、町家の暖簾の色をも支配している」と述べ、多くの外国人が「ジャパンブルー」と
呼んだ。東京オリンピックのエンブレムは組市松模様に決まった。「市松」は歌舞伎役者・佐野川市松(1741)が舞台で穿いた袴の
模様が始祖という。そば猪口の染め絵も江戸の昔から鮮やかな藍色である。ソバも藍も同じタデ科の植物だ。不思議な縁である。
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