年越しそばの由来・・・晦日そばと節分そば・・・        16-12-1           
南北4000qに伸びる我が国は四季に恵まれ食の年中行事も多彩である。雑煮・おせちに始まり、春の七草粥、夏には土用の丑、
秋には月見団子、冬至には南瓜と蒟蒻、そして殿には「年越しそば」が控えている。年中行事だけでなく、月中の行事もあった。
「三日藷蕷(とろろ)、三十日(晦日)そば」という諺もあって、江戸時代中期頃には「晦日そば(三十日)」の習慣が商家を中心にあ
ったという。商家は月末に集金・棚卸・大掃除などで多忙を極める、そのねぎらいのため奉公人達にそばを振舞ったというのであ
る。安価で手軽、それでも奉公人達には結構なご馳走であった。明治に入ってこの習慣はなくなったが、大晦日だけが残り「年越
しそば」(後述)になったという。大陰暦では29日と30日が月末で月籠りともいい月の見えない暗い夜になる。「晦日」の由来である。
青空ブルー(大阪・淀屋橋) 16-11-8 石臼挽きぐるみうどんとシャット 蕎麦粉食堂(神奈川・藤沢)
芦屋にある蕎麦屋の名店「土山人」で15
年間蕎麦打ち修業を重ねたご当主松井
宏文氏が2年前にオープンした「うどん屋」
「全粒粉粗挽き」と「各地産小麦粉のブレ
ンド」が売り。製粉も全て自家製で賄う。
上段:「青空」の全粒粉の粗挽きうどん。
全国でも珍しいメニュー。味と香りが違
う。下段はイタリア北部・バルテリーナ地
方の「シャット」。チーズをそば麺で包み
グラッパを加え、油で揚げた郷土食だ。
店主の山本純也さんは元々はイタリアン
のシェフ。そば粉を使ってイタリアン(ピッ
ツオッツケリ・シャット)、にフレンチ(ガレッ
ト)等を提供する全国的にも珍しいお店。
連日女性客で賑わっている。
 
 
「年越しそば」の由来 大陰暦の昔、一年の始まりは「立春」で、前日の節分が年末であった。したがって節分そばは年越し
そばと呼ばれていた。明治になり「晦日そば」と「節分そば」が合体し大晦日の「年越しそば」となり今日に至っているという。なぜ
「そば」なのかについては諸説ある。1)博多の承天寺で不景気を一掃するために年末に「世直しそば」を振舞ったところ運が向い
て来た。2)室町時代に長者・増渕民部が「そばの実の三角が帝(みかど)に通じる」として祝った。3)そば切りの細く長いことから
寿命や身代が永く続くことを念じて。4)金銀細工師がそば粉を使うと金箔がよく伸びること、砂金を精製するのにそば粉を使ったこ
と等から。5)「本朝食鑑」にそばは「五臓の滓穢を去る」とあることから・・・等。多彩でなかなか面白い。新島繁著「蕎麦史考」より。
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