江戸時代の三大俳聖も「そば花」を好んだ       17-1-4         
江戸時代の三大俳人・芭蕉・蕪村・一茶には、多寡は別にして夫々そばの句がある。その中でひと際目立つのが一茶の35句
である。一茶が多作の俳人だったこともあるが、何よりも彼の出生の地が霧下ソバで有名な信濃国・柏原であったことが大きい。
代表作「そば時や月の信濃の善光寺」は、彼が50歳になり江戸から帰郷した折に詠われた句である。芭蕉の蕎麦関連句は4句
に止まるが、死の一か月前に生地伊賀上野で詠んだのが名句「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」である。蕪村は「残月やよし
のの里のそばの花
」と詠んだ。吉野で桜を詠う句は多いが、そば花であるところが面白い。薔薇の華やかさ、牡丹の高貴さはな
いが、ソバには日本の精神文化に通底する「素朴さや可憐さ」がある。俳聖の心を打つ何かがそば花にはあったに違いない。
 沢正(京都・東山) 16-11-21 上段:越前おろし蕎麦
下段:そば同好の「蕎遊会」メンバー
 
くらそば幸道(越前市) 16-11-24 

明治42年菓子業創業の老舗。そばは平
成14年に始めた。三代目がそばを打つ。
何を隠そう「そばぼうろ」の商標権を持つ
のは当店。商社の迎賓館を改造、昼夜と
も「そば懐石」。そば料理八品が出る。
田舎蕎麦の典型、太くて手強い。噛ん
でじっくり味わう。繊細な江戸そばとは
一線を画する。 「蕎遊会」は結成十年
になる。入会希望は後を絶たない。あと
二年50回記念まではお互い頑張ろう。

元JAの米蔵を改造した落ち着いた隠れ
家的な蕎麦屋。創業僅か2年だがなか
なかのもの。九一のそばは端正な仕上
げ。在来の「越前そば」とは異なった佇
まい。店主不在は残念。またの機会を。
 
「そば」の食い合わせ 食い合わせの伝承は古くからある。「うなぎと梅干・天ぷらとスイカ・そばとタニシ」等はよく知られて
いる
日本では貝原益軒の「養生訓」(正徳2年・1712)が元祖のようだ。養生訓(巻四)にある食い合わせは全部で41種類。その
大部分は物理的な負の組み合わせ(冷たいもの・硬いものどうし)を避けるのが中心で、医学的・科学的根拠は薄いようだ。「養生
訓」の種本は孫真人(581〜682)の「千金要方」だと言われている。孫は唐時代の名医で本草学の大家。医神として薬王廟に祀ら
れている。さてそばの食べ合わせだが、「柿・豚肉・茄子の漬物」等が挙げられているが根拠はない。そばは最も栄養に富んだ穀
物である。不足するのはビタミンA・C・D・Eだ。大根おろしや鰹出汁・鰊等との「良い食い合わせ」を考える方がより建設的だろう。


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