江戸っ子気質の「粋」とそば切り                     17-5-1
九鬼周造氏は粋とは「媚態と意気地と諦め」だという。それはとも角、そばと「粋」とはいったいどこで繋がるのだろうか?そば
の特徴は、素材的にはソバ粉と水だけ(単純・素朴)、形態的には細長く切れ易い、食べ方は「ちょっと汁に漬け一気に呑み込
むように啜る」、寿司の食べ方(三本の指でつまみ「たれ」をちょっと付けて口中に放り込む)に共通する江戸っ子の美意識(単
純・せっかち・いなせな)が垣間見られる。また初物好きな江戸っ子は「鰹」ほどではないが秋の新そばに憧れ待ちかねた。一
茶は新そばを求めて集まる江戸っ子の姿を「新蕎麦は物も言わぬに人が増え」と詠んだが、そばの本場・信濃柏原生まれの
彼には、江戸っ子のそばへの狂態を・・・「そばの花江戸のやつらがなに知って」と皮肉らずにはおられなかったようである。
はやうち(大阪・四天王寺) 17-2-3 市川団十郎と五代目小さん あき津(大阪・吹田) 17-1-18 

日本最古の寺院と言われる四天王寺の
直ぐ傍にある。場所柄もあり行列の出来
る繁盛店。店主は名店・土山人で修業し
て7年前に開店した。店名は店主の名前
「早内俊二」からとった。よく出来た名前。
団十郎演ずる直侍の粋なそばの食べ方
が江戸っ子の気持ちを捉えた(雪暮入谷
畦道)。明治時代に三代目柳家小さんが
「時うどん」を演じ、戦後は六代目柳橋、
五代目志ん生が十八番「時そば」とした。
南千里から徒歩10分余。住宅街のど真
ん中にある隠れ家的存在である。ご夫
婦で経営。店内はゆっくり時間が流れ
ている。「取材を一切お断りしているので
ゆったりしています」とは女将の言葉。
 
「そば」と「うどん」について(再) 「うどんが兄、そばは弟」が定説である。うどんの初見は法隆寺史料「嘉元記」(天正7年
・1352)の「ウトム」の記述だとされるが、そば切りの初見(1574)より200年早く、伊藤汎氏の京都禅林説(1438)を採ったとして
も、うどんが100年前であることは変わらない。鎌倉時代に禅僧が宋から製麺技術と石臼等の道具を持ち帰り、まずうどんが誕
生し、やがてそばへ技術移転されたと推測される。順位に変動が起きるのは江戸中期以降であった(日新舎友蕎子「蕎麦全書
・1775」、恋川春町「化物大江山・1776」)。
江戸っ子気質(粋)の高まりと共に町民はそば切りへ傾斜していった。そばは趣味食
化を強め、寿司と並び江戸っ子の「粋」を表す食のシンボルになるが、一方うどんは「大衆化」の道を歩むことになったのである。
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