江戸・明治時代の風情を残す「かんだやぶ」 17-12-1 | |||||
「薮そば」といえば日本を代表する金看板。「神田薮」を本山として「並木薮」と「池之端薮」を薮御三家という。創業は明治13年 (1880)で、砂場や更科に比べれば比較的新しい。浅草蔵前で「中砂」(蕎麦屋)を経営していた堀田七兵衛(4代目)が団子坂 の薮蕎麦を「蔦屋」から譲り受けて「薮」を名乗ったことに始まる。七兵衛の三男・勝三が「並木薮」を、勝三の三男・鶴雄が「池 之端薮」(閉店)を開いたのである。いずれも辛汁で名を馳せた。「蕎麦の先をちょいと汁に漬け」という粋な食べ方は、此処に 始まったのである。また神田薮のそばは緑色をしているが、味の落ちる夏場の蕎麦に清涼感を持たせようと七兵衛がクロレラ を練り込んだものである。堀田家の墓には「砂」と「大坂屋七兵衛」の字彫があり、砂場由来の出自であることを物語っている。 |
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かんだやぶ(神田淡路町) 17-9-21(再) | 「お通し」中の女将と「せいろ」 | 並木薮(雷門) 再 | |||
「かんだやぶ」が正式名称だというが・・・。 更にいうと、写真に見ろように「ぶ」は変体 仮名を使う。4年前の火事で全焼したのは 惜しかった。二階が出来、外構は変わった が、小上がりもあって昔の佇まいを残す。 |
上段:「かんだやぶ」の女将。店内を見渡 せる位置に立って、お客様の動きに常に 気を配る。下段:見事な緑色をした神田 薮の盛りそば。当初はもっと濃かったと いうが、時代と共に現在の色になった。 |
汁は薮の中でも並木が一番辛いという。 二代目平七郎に子供がなく、三代目は 養子の堀田浩二が継いだ。浅草雷門に 近い(徒歩3分)老舗の中でも名店の誉 れ高い。文人など有名人ファンが多い。 |
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神田薮花番の通し言葉 戸を開けて店内に入ると「いらっしゃい・・・〜・・〜」と百人一首を読み上げるような花番さんの抑 揚のある声が耳を捉える。一瞬で店内はモノクロの世界になり劇場と化す。神田薮独特のおもてなしである。注文をすると「せ いろ〜う〜、いちまあ〜い〜・・・」と注文が奥の調理場へ通る。初代七兵衛が駒形のどじょう屋の花番を真似たと、勝三の著書 「うどんの抜き湯」に書かれている。無断借用ではなく「公断借用」であるとも。女将と若女将fで抑揚が異なり、言葉の伸ばし方 にも差のあるところが面白い。平成25年の火事で神田薮が全焼した時には、この「お通し」が無くなってしまうのでは、と心配もし たが、新しい店舗と共に見事復活した。少なくなった江戸・明治時代の風情である。是非とも後世に残して欲しいものの一つだ。 |
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