口入屋とそば職人                              17-8-1
「美男、子安や馬の鞍、六軒堀を飛び出して、大芝,芝口食いつめて原田屋の子分となり・・・」と蕎麦屋・福山のかつぎが啖呵
を切るのは歌舞伎「助六由縁江戸桜」の見せ場だが、台詞に出てくる「美男・子安等」はそば職人口入屋のことである。江戸中
期には江戸各地域にあり、蕎麦屋に職人を周旋をしていた。明治30年頃には有力な宿が16軒あったという。蕎麦屋と職人から
「月並み」と称する手数料を納める仕組みだった。見込みのある者には宿に住み込ませて、技術を習得もさせた。職人は腕に
自信が出来ると自惚れて気に入らないと店を転々とする者が多かったという。暇なときには部屋の二階で昼間から酒を飲み博
打に明け暮れていた。「お天道様と米の飯は向こうからついてくる」、「宵越しの金は持たねえ」が彼らの生き方だったのである。
あまの凡愚(和歌山) 2017-7-20 上段:歌舞伎・助六・福山のかつぎ
下段:長明寺「麺類杜氏職寄子中之墓」
利久庵(横浜・関内) 2014-5-27

店主真野竜彦さんの古希を機に大正の
店を引き払い和歌山県の高野山の麓
(標高450m)に古民家を求めて居を移し
た。元カメラマンであった真野さんの好
みの異空間を作り上げたのである。
 上段:画面左の福山の「かつぎ」が啖
呵を切る場面。見せ場の一つである。
下段:口入屋「美男」の親分田中徳三
郎が建てた東京谷中「長明寺」の「麺
類杜氏職寄子中之墓」(明治29年建)
「そばとお化けは怖い方がよい」とばかり
にコシの強いそばを打つ。蕎麦の基本は
木鉢にあるというのが店主出川修二さん
の蕎麦哲学である。創業は昭和22年とい
うから70年の歴史。 横浜のれん会。
 
麺類杜氏職寄子中之墓 漫画「そばもん」は単行本20巻をもって昨年終了した。 専門書と比べて遜色のない内容で評
判を呼んだが、その第6巻に「前掛けと菜箸を買ってくれ」と言って蕎麦屋を訪れる老人の話が出てくる。
蕎麦屋の主人
は適当な金を渡してその前掛けと菜箸を買い取るのだが、外出から帰宅した
先代が言うには「それは働けなくなった
蕎麦職人が、そばの世界に尽くした証拠(前掛けと菜箸)を見せて施しを乞うているのだから、前掛けと菜箸にお金を
付けて返すものなのだ」と息子に教える。
そば職人の多くは
歳をとると仕事がなくなり末路は哀れであったとという。「美男」
の親分・田中徳三郎がこれを憐れんで明治29年・東京・谷中の長明寺に「麺類杜氏職寄子中之墓」を建て弔ったのである。
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