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「木鉢とタンポに気をつけろ」とは並木薮の初代堀田勝三が死の当日、病床から子息平七郎(二代目)に残した遺言だという。 「木鉢」とは、ソバ粉と水を混淆し練り上げること、「タンポ」とはそば汁の素になる「かえし」を作ることで、いずれも蕎麦の 「味作り」の最も重要な作業を指している。一子相伝、老舗ならではの話だ。美味しいそばを食べさせるお店は、例え機械打ちで あったとしても、木鉢は職人の手仕事でしていると、四代目有楽町更科の故藤村和夫は言う。「かえし」は醤油・みりん・砂糖を 混ぜ合わせ、そのまま(生がえし)か加熱(本がえし)してタンポ(陶器の壺)に入れ涼しい場所にで熟成させる。このかえしを かつおや昆布から採った出汁で割って「そば汁」にするわけである。使用直前に「湯煎」して濃縮するのが丁寧な作り方である。 |
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尾張屋(京都) 再 | 上段:木鉢、下段左:タンポ | 越前屋(長野・上松) 再 | |||
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寛正六年(1465)創業。応仁の乱が始ま る2年前のことである。最初は菓子屋で 後にそばを扱うようになり、現在では蕎 麦屋で有名となった。先代は「蕎麦を始 めたのは1700年頃だろう」と言っていた。 |
右下の書籍は、並木薮・二代目平七郎 が残した「江戸そば一筋」である。江 戸そばの全てが書かれているいる。 平七郎には子供がなく、養子の堀田 浩二が三代目として遺志を継いだ。 |
寛永元年(1624)創業とHPにあ る。日本で二番目に古い蕎麦屋だそ うだ。木曽川沿いの浦島太郎所縁の 地・寝覚めの床にある。十返舎一九 始め多くの文人が訪れた老舗だ。 |
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蕎麦屋の老舗 確たる「老舗」の定義はないのだが一般的には創業100年を超えるお店を指す場合が多いようである。韓 国銀行が発表した資料(2008)によると世界で約5万社、そのうち日本はほぼ半数の2.6万社に達するという。我が国が圧倒的 な数を誇る。ここでは国民性によるものとしておこう。ところで蕎麦屋だが、江戸時代以前(〜1868)に開店してなお現存する 店の数は僅か36店 (高瀬礼文監修「出雲そばの本」)とある。筆頭には京都の「本家尾張屋・1465」、続いて岩手の「大畠家・ 1597」、三位に長野の「越前屋・1624」が、四位は山梨の「奥村本店・1661〜」となり、「南枝・1706・兵庫」、「粉名屋 小太郎・1712・山形」「晦庵河道屋・1716〜1736・京都」「くるまや本店・1716・長野」「本家鶴喜そば・滋賀」と続く。 |
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