江戸・明治時代の蕎麦屋めぐり 斉藤月岑のこと       18-5-1
江戸時代に蕎麦屋巡りの元祖といわれる男がいた。斉藤月岑(1804〜1878)である。斉藤は神田の町名主の家に生まれた考証
家であり著述家でもあった。有名な「江戸名所図会」や江戸で起こった出来事・風俗などを記した「武江年表」等の著述がある。
「斉藤月岑日記」は文政13年(1830)〜明治8年(1875)の45年の間に周辺に起こった出来事をメモ風に綴ったものであるが、前
半はさほどでもないが、万延2年(1861)以降は毎年十数回もの蕎麦屋訪問の様子が記されていて、風流人月岑のそば好きの
程度が窺われる。訪問の一番多いのは「連玉庵」で、永坂更科・団子坂薮・茅場町砂場等を始め現存する蕎麦屋の名も頻出す
る。開店の噂があると直ぐ出掛けたともいうから、まさに「蕎麦屋巡り」の江戸・明治版である。詳細記録のないのが悔やまれる。
蓮玉庵(東京・上野) 18-4-20
斎藤月岑日記 星(大阪・道頓堀) 17-12-28
斎藤月岑の番頭格であった久保八十八
が無類の蕎麦好きで、ついに蕎麦屋を
開店したのが「蓮玉庵」(安政6年・
1860)である。創業は不忍池の端に
あったが、後年転居し現在の地へ。
岩波書房「大日本古記録」全十巻の
八・九・十巻に「斎藤月岑日記」が収
められている。江戸風俗を知るため
の貴重な資料である。蕎麦屋の名前
は出て来るが味や店の情報はない。
 
「星」と書いて「あかり」と読ませる
面白い店の名前である。小さな雑居ビ
ルの1階にある。間口が狭くて縦長の
店舗。15席の手狭な店舗。心斎橋から
直ぐ、注意しないと見過ごす可能性大
 
連玉庵と明治の文人たち 古来何故か文人には蕎麦好きが多い。とりわけ不忍池畔にあった蓮玉庵は明治の文豪がよく訪れ
た。筆頭格は既述の斎藤月岑。蓮玉庵の開店にも関わったためか、「斎藤月岑日記」の蓮玉庵初出の年が同店の創業年とされて
いるのが面白い。明治時代の文芸作品には蓮玉庵の名が頻繁に顔を出す。逍遥「当世書生気質」、一葉「一葉青春日記」、鴎外
「雁」、花袋「東京の30年」等はその代表であろう。茂吉は「池之端の蓮玉庵に吾も入りつつ上野公園に行く道すがら」と短歌に詠
んでいる。ついでながら、店の正面看板「蓮玉庵」の原文字は久保田万太郎の揮毫だという。昭和になっても作家の来訪は続き、
吉川英治・五味康祐から、藤沢周平・池波正太郎も当然のことながら常連であった。新派俳優、落語家にも顔馴染みが多かった。