忍者食「そば兵糧丸」が研究対象に                18-3-1
今春、国立三重大学の大学院に「忍術・忍者学講座」が新設される。戦国時代のファンタジーとも思える世界が国立大学講座
に認定されたのだ。忍者の里(甲賀・伊賀)がある三重県ならではの話である。忍者の携帯食である「そば兵糧丸」も当然研
究の対象になるという。「兵糧丸」は戦国時代に使われていた保存食で栄養価が高く、携帯に便利な小型・軽量で、食材や製
法は将や忍者の流派によって異なるが、上杉謙信・武田信玄等の戦国大名や竹中半兵衛・山元勘助等の軍師によるものが著
名である。そば粉は兵糧丸の主材料として使われことが多く、その主なものに鬼一法眼・上杉家・尾張家兵糧丸等々がある。
そば粉は比叡山千日回峰の必須食材でもあり、ネパールでもヒマラヤ登山の携行食として現在も珍重されていると伝え聞く。
若木(大阪・肥後橋)17-12-25 上段:新島繁著「蕎麦年代記」
下段:そば兵糧丸
和豊(大阪・西天満) 18-1-11

祖父の代に福井から大阪へ進出した和
菓子のお店。大戦で焼失して現在の処
へ移転。15年前に手打ち蕎麦屋へ転身
した。北海道産そば粉の二八。本格派
の蕎麦屋である。中央に大テーブル。
上段:蕎麦文化史研究の第一人者・新
島繁氏の著作「蕎麦年代史」、氏の死
後、平成14年に柴田書店から出版され
た遺作。下段:兵糧丸の素材はそば粉・
人参小麦粉・山芋・ハト麦・ゴマ等
西天満の激戦地区(なにわ翁・荒凡
夫)にある。昼はサラリーマンでい
っぱいになる人気店。福井産の蕎
麦粉。星があって全粒粉を思わせ
る。2012年オープンのお店。
そばは薬か?大毒か? 蕎麦の効用はよく耳にする。江戸元禄時代頃から流行した「江戸患い」(B1不足)の特効薬であ
ったこと、比叡山の千日回峰で五穀を絶った禅僧の重要な栄養源であったこと等々。一方「そばの害」について記述されるもの
は、「そばアレルギー」を除いてあまり目にすることはない。ところが、斎藤月岑著「武江年表」(安永2年1773)に「蕎
麦を食して死にたりと云う噂一般になってそば更に売れることなし」とあり、40年後の文化10年(1813)にも「6月初旬より
蕎麦を食えば死ぬるといふ俗説行われ蕎麦屋更に商いなし」とあり、相当噂が広まっていた様子が窺える。が、医者の勝部青魚
は「剪燈随筆」で「甚だ妄説也」と、加藤曳尾庵も「そば大毒有と愚俗はいへり」と一蹴している。何時の世にも妄説はある。
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