明治・大正・昭和天皇と蕎麦               18-4-1
明治・大正・昭和天皇は揃って「そば」が好物だった。大正天皇がまだ東宮だった明治45年に彦根を訪れた折、名代の「本
家鶴喜そば」のそばを手土産にされたのが縁となり、宮中の「年越しそば」は昭和天皇崩御まで同店が献上を続けたという。
また昭和天皇が昭和22年に北陸を行幸された際、「うるしや」(廃業)の「おろしそば」をお出ししたところ、お代わりを
所望されたばかりか、後々まで「あの越前の蕎麦は美味しかった」と仰られ、これが「越前そば」の名前の始まりだとされて
いる。昭和29年、北海道訪問の際にも釧路の名店「竹老園東屋総本店」で「蘭切りそば」をお代わりをされた。昭和天皇の
料理番・谷部金次郎は「毎月三十日に晦日そばお出した」が「もっと献立にのせれば良かったと悔やまれる」と著書にいう。
竹老園東家総本店(釧路) 羽根屋(出雲) 鶴喜そば(滋賀・坂本)
明治7年に小樽で創業。明治45年に
現在地(釧路)に移転した。蕎麦は東
京「かんだ藪」に倣ってクロレラを練
りこみ緑色をしている。別館「竹老園」
(広い日本庭園の中に建つ)がある。
 江戸中期創業の出雲を代表する老
舗。明治45年大正天皇が東宮の頃、
出雲行幸の折に羽根屋の蕎麦に感動さ
れ「献上蕎麦」を名乗ることを許され
たという。写真は羽根屋来阪の節に。
比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂
本。享保元年創業(1716)の日本有
数の老舗。入母屋総二階の店舗は
平成九年に有形文化財指定を受けた。
比叡山・日吉大社観光客で賑わう。
 
天皇と蕎麦との永い物語 「世の中にめでたいものは蕎麦の種 花咲きみのりみかどおさまる」と増渕民部が詠んだが、
玄ソバの形状が三角錐であるため「三角→帝(みかど)」と読み替え、そばと天皇を関系付けて捉える風があった。「蕎麦」
の初見は、救荒食として栽培を促した元正天皇の詔勅(722)であったことから、現在も元正天皇を「蕎麦祖神」として業界
では崇めているし、京都遷都(794)を行った桓武天皇の命日(5月17日)に「天皇御講」が行われるのだが、その日に比
叡山延暦寺へ老舗・河道屋が「手打ちそば」を献上する風習が今も続いている。京都の老舗蕎麦屋の多くは元々菓子屋だが
、粉を扱うことから宮中より蕎麦の注文が来るようになった。代表格の尾張屋も菓子屋だったが、後に「御用蕎麦司」となる。 
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