大名の御国替えと蕎麦文化の伝播                    19-3-1
江戸の幕藩体制は各藩の自主性を尊重した仕組みであったため、各地に独自性の高い生活文化が育った。が、反面人の流
れや文化交流は減少して行った。それを補完したのが諸大名の参勤交代と御国替えであった。これが蕎麦文化の伝播にも
大きく貢献した。
その代表格が会津藩初代藩主・保科正之であろう。正之は蕎麦文化をお国替えによって信州高遠藩から山
形藩へ、更に会津藩に伝播させた。今も会津には正之を偲んで「高遠そば」の呼称が残る。不昧公は江戸と出雲間に蕎麦文
化の交流を築き、江戸城に蕎麦切りを持ち込んだ最初の人と言われる。その他
、藩主国替えによる蕎麦文化の伝播例は越
前藩・出石藩など数多い。また著名蕎麦処の大名から徳川家へ「蕎麦切り」が毎年献上されていたこ
とも付記しておきたい。
わへい(群馬・草津温泉) 18-11-6 上段:保科正之
下段:松平治郷(不昧公)
川上庵本店(軽井沢) 18-11-5

群馬県・草津温泉の「西の河原通り」にあ
る。外から蕎麦打ち場が見える設計。包
丁は踏み台の上に上がって使うという珍
しい流儀。のど越し重視で75:25の蕎麦
・小麦粉比率。気風の良い若いご当主。
保科正之は二代将軍秀忠のご落胤、故
あって信州高遠藩主に→出羽山形藩主
→会津藩主に栄進。松平治郷(不昧公)
は16歳で第七代出雲松江藩主となり藩
政を再建。茶を愛する趣味人だった。
 
軽井沢を代表する名店。常に10名内外
の人が順番待ちしている。cafe風のお洒
落な店舗設計。テラスを含めて176席の
大型店。代表メニューの「天せいろ」を
頂く。やや粗めの挽きでバランス良し。
 
不昧公夜話 「目黒のさんま」だけでなく、落語に殿様はつきものである。蕎麦噺にも殿様が出て来るが、実名が出て来るの
は「不昧公夜話」くらいのものであろう。ある夜、不昧公が家来と雑談をしていると鈴の音が聞こえてくる。尋ねると「蕎麦屋」だ
という。公は一度食べてみようとお忍びで出かけ、そばを所望すると一緒に割り箸が出て来た。公の「箸一本で食するのか」の
問いに「これは二つに割って用います」と家来。不昧公、早速蕎麦屋の装束・道具を整え家臣を集めて蕎麦を振
舞ったが、家来
だけでは面白くないと、水戸・紀州・尾張の御三家を江戸屋敷に招待した
.。三公も割り箸の使い方に戸惑っていると、蕎麦打ち
助っ人の町人が箸を歯でパリっと割ってみせた。三公痛く感心して「なるほど町人は割り箸は口で扱うものか・・・」・・・と納得顔。
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