歌舞伎に登場する「そば」・・・江戸初期に登場し化政期に定着した文化   18-7-1
歌舞伎も落語と同様に食べ物が登場する演題は少なくない。「義経千本桜」の「魚つくし」の台詞、「双蝶曲輪日記」(引窓)の
月見団子、「髪結新三」の初鰹等々である。季節感や時代背景を浮かび上がらせる役割を担わせているのであろう。
蕎麦も負けずに色々な演題に登場するが、「助六由縁江戸桜」(正徳3年・1713)、「雪暮夜入谷畦道」(明治14年・1881)はその
代表格である。「助六」では福山の印半纏姿のかつぎを舞台に上げて長啖呵を切らせ、「畦道」では、雪の降る寒い夜道を急ぐ
頬かむりに尻はしよった直次郎が、蕎麦屋で温かい汁蕎麦を啜る場面が有名である。江戸っ子が命の次に大事に思う「粋」を
表現するための小道具として蕎麦が使われたといえよう
。「大入りそば」や「とちりそば」等、歌舞伎とそばの縁は永く深い。
一東庵(東京・東十条) 18-4-19 上段:「助六」の福山かつぎ
下段:「雪暮夜入谷畦道」の直侍
歌舞伎そば(東京・銀座) 18-4-20

埼玉県境に近い東十条にある。「こな
もんや三度笠」(著名蕎麦ブロガー)
の宮本学さんの紹介である。、駒込
の小松庵で16年修行し2011年に独
立。ミシュラン・ビブグルマン登録。
上段:「助六」のかつぎ。豆絞りの手
ぬぐいの鉢巻きに赤い腹巻と印半纏。
江戸っ子好みの艶姿で啖呵を切る。下
段:汁蕎麦を啜る直侍。この食べ方が
粋だ、と江戸っ子の喝采を浴びた。
 
歌舞伎に蕎麦は付き物。歌舞伎座裏に
「歌舞伎そば」(歌舞伎座厨房経営)
がある。名物は「もり掻き揚げ」で一
日300食出るという。二号店は兜町に
ある。ともに繁盛店であるという。
 
赤穂義士と蕎麦 「赤穂事件(元禄15年)」は太平の世を揺るがす大事件であった。早くも翌年赤穂事件を模した人形浄瑠
璃「傾城阿佐間曽我」が登場する。続いて「赤穂義士伝一夕話」(山崎美成)、「泉岳寺書上」を初め、歌舞伎・川柳・落語にまで
浪士を称える話は後を絶たない。勧善懲悪・判官贔屓・自己犠牲が江戸っ子の心を揺さぶったのであろう。その中に「討ち入り
前夜に楠屋(蕎麦屋)に集合した」とする話が流布している。これを否定する寺坂吉右衛門手記もあって現在では楠屋の件は嘘
説とされているが、それなら尚更、何故集合場所を蕎麦屋にしたのか興味が湧く。「手討ち」→「手打ち」の語呂合わせか、それ
とも蕎麦の持つ「粋」「潔さ」「別離」「予祝」等のイメージのためなのであろうか.。(蛇足ながら、歌舞伎には蕎麦屋の段は無い)
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