「廓と蕎麦」を巡る数々の物語              18--2-1
「廓と蕎麦」は昔から何かと縁が深い。例えば、江戸の吉原、京の島原と並ぶ大坂の新町遊郭(1627年建設)前に蕎麦屋「津之
國屋・和泉屋」(砂場の前身)があり繁盛を極めた。この店の創業が天正11年(1583)だとする説があり、だとすれば日本最古の
蕎麦屋(新町南公園に「本邦最古の麺類業発祥の地」の碑が現存)になる.。また寛永年間の頃(1661〜1675)、吉原・江戸町二
丁目に仁左衛門が経営する蕎麦屋があり、大変不愛想でつっけんどんな上に、盛り切りだったこともあって、最下等の慳貧女
郎に因んで「けんどん蕎麦」と呼んだ(「昔々物語」・1664)という話もある。さらに新吉原では、馴染みの大夫に客が夜具を新調
して贈る際、妓楼関係者に蕎麦を振舞う「敷初そば」の風習があったという。 川柳に「敷初はそばやがいつも早く知り」と、ある。
蔦屋(能勢町) 18−5−30 上段:「麺類業店発祥の地」の碑
下段:「大名けんどん箱」のイメージ
吟香(川西市) 18−5−30

大阪・谷町では小汚い長屋だったが、能
勢に転居して一新した。里山の長閑な環
境のなかにぽつんと一軒家。夫婦二人で
切り盛りをしている。主は「百姓でもやろ
うかと転居した」というのだが・・・。
上段:石碑に「麺類店発祥の地」とあ
る。大阪市西区・新町南公園に建つ

建立者は坂田孝造(新大阪新聞の記
者)。下段:蒔絵の施された豪華な「大
名けんどん箱」である。
 
川西市向陽台の住宅地の中にある。杉
の木で作った純和風の建物。ミシュラン・
ビブグルマン登録店である。店名は、香
を吟味するということから付けたという。
富山産の十割せいろを頂戴した。
 
けんどん論争 八犬伝の滝沢馬琴と雑学考証家・山崎成美との間で「けんどん」という言葉の意味について激しい論争があ
り、最後は絶交するに至ったという。いつの世にも熱い人はいるものだ。これだから世の中は面白い。ところで争点は何かとい
うと。馬琴は「”けんどん”とは出前が持つ箱が本箱に似ているところから”書巻”の巻にかけて”巻鈍”が語源だと主張し、美成
は「”けんどん”は倹鈍”で、貧乏人が食べる”盛り切りの粗末で安価な蕎麦」を指すとして譲らなかった。前出・仁左衛門の「け
んどん蕎麦」「慳貧女郎」が存在したのは歴史的事実だが、一方で「大名けんどん」という豪華な出前箱があったこともあって、

双方いずれにも軍配を上げる難しかったのであろう。参考までに広辞苑を引いてみたが、やはり両論を併記に終わっている。