江戸蕎麦の伝統・・時代の潮流を作った名店        09−1−5記    
江戸初期の蕎麦は不味く評判が悪かったと言う。粉が粗悪で喉越しもざらついた上値段も高かったからである。享保時代(1716
年〜)になって「二八蕎麦」が
出現し状況は一変した。「うどん」を抜き去り、「江戸っ子気質」の高まりにも支えられて蕎麦は当時
の食文化に深く刺さり込んでいった。(蕎麦が脚気に効くためとする説もある)
江戸末期(万延元年・1860年)には3,763軒の蕎麦
屋があったと記録されている。当時の江戸の人口120万人、320人に一軒あった勘定になる。
ところが明治維新で人口は50万人
へ急減し、
「牛鍋」など食の洋風化もあって江戸食文化は衰退するが,蕎麦と寿司だけが生き残った。だが明治中期からの自動
機械流行が蕎麦打ちを堕落させた。
手打ち蕎麦の再生は大震災・戦争の混乱を経て昭和40年代を待たねばならなかった。
籔蕎麦(神田) 08-11-13 本むら庵(荻窪) 08-11-12 竹やぶ(六本木) 07-7-26
 江戸時代の風情を残した「花番」の符丁
が響く。
籔ご三家(神田・並木・池之端)の
中心の店。
台東区団子坂にあった「蔦屋」
通称「団子坂の籔蕎麦」を買い取って「か
んだ籔蕎麦」が誕生したのは明治13年。
 手打ちを始めたのが昭和40年。「一茶庵」
と並んだニューウエーブの旗手だった。自
家製粉でも先端を切る等、常に時代の潮
流を先取りした「革新者」であった。現在は
「粗挽き生粉打ち」に取り組んでいる。
 「かんだ籔蕎麦」で修行したご主人が千
葉・柏に「竹やぶ」を立ち上げたのが昭和
41年、22歳の時であった。現在は箱根店
・六本木店など新しい店舗作りにも挑戦し
ている。2008年ミシュランガイド★を得た。
東京ミシュランガイド 2008年版「東京ミシュランガイド」が一昨年末発表された。ミシュラン日本初進出であり注目を集め
た。1900年タイヤ会社・ミシュラン兄弟がドライバー達の役に立つ市街図・観光名所・数理工場・レストランなどのガイドブックをフ
ランスで作り無料配布したのが始まりで、
今日ではヨーロッパ・アメリカで最も権威のあるレストラン・ホテルのガイドブックといわ
れている。覆面審査員が店を訪問・試食の上「味の評価」
をして「★・★★・★★★」を決める。東京では155店が選ばれた。その
中に蕎麦屋(蕎麦会席)が3軒(六本木の「竹やぶ」、銀座の「古拙」、渋谷の「翁」)含まれていたのには驚いた。今年は新たに両
国の「ほそ川」が選ばれた(いずれも一つ星)。
ミシュランガイドの「★」評価が蕎麦屋にとって果たして勲章になるのだろうか。
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