「仕事唄」は人生の応援歌だった         18-9-1
「仕事唄」は庶民の身近な労働の中から生まれただけに古い歴史を持つ。田植唄・木挽き唄・駕籠かき唄・ソーラン節・箱根馬
子唄・ヨイトマケの唄等々。そばに関わる仕事唄も多い。一番有名なのは宮崎・椎葉村の「稗搗き節」だろう。稗に代表されては
いるがもちろんソバや粟も含まれていた筈である。また四国祖谷の「粉挽き唄」も外すわけには行くまい。ソバを栽培して主食・
補食しなければならない貧しい山村には必ず「搗き・挽き唄」がある。何故かといえば、稗やソバを粉にするのは娘や嫁の仕事
とされていたが、彼女らには夜なべの重労働であると同時に単調な仕事でもあった。仕事唄は彼女達の心を少しでも慰める唯
一の相棒だったのではないか。 「伊吹山ほどかい餅欲しや石田川ほど醤油欲しや」は滋賀県今津町に残る「そば挽き唄」だ。
番馬亭(西宮北口)  18-3-14  祖谷のかずら橋と「粉挽歌」 吉兆(大阪・JR高槻) 18-6-2


 祖谷のかずら橋ゃ ゆらゆらゆれる
  主と手を引きゃ 怖くない
  手を引きゃ 手を引きゃ 主と
  主と手を引きゃ
 怖くない

 祖谷の源内さんは 稗の粉にむせた
  お茶がなかったら むせて死ぬ
  なかったら なかったら お茶が
  お茶がなかったら むせて死ぬ

  香西かおりの「祖谷の粉挽歌
阪急西宮北口から近い。昼食時には行列
が出来る。ウリは「カレー蕎麦」、丼い
っぱいの「つけカレー」と「盛りそば」が
出る。ルーの量が半端ではない。注文
時にはカレーの辛さを聞かれる。
そば不毛の地といわれる高槻で唯一の
お蕎麦屋さん。阪急とJR駅前に店舗を
持つ姉妹店。うどんと蕎麦の併売店であ
る。そばが滑らかでのど越しは良い。
 
祖谷の「粉挽き唄 祖谷は平家落ち武者伝説が伝えられるに相応しい秘境にある。剣山に源を発する祖谷川が作るV字型
の渓谷が日本三大秘境のひとつに数えられるのも頷ける。だが急斜面地では稲作は出来ない。粟・稗・大豆・ソバが常食になっ
たのは当然の結果であった。「祖谷のかずら橋ゃ 蜘蛛の巣のごとく 風も吹かんのに ゆらゆらと・・・粉ひき婆さん お年
はいくつ わたしゃ挽き木の うない年・・・粉ひけ粉ひけと ひかせておいて 荒い細いの なしょたてる・・・」(祖谷の「粉挽
き唄」)。永い間歌い継がれてきた唄であるが、昭和34年(1959)に西祖谷山村善徳の豊永カズエさんが歌ったものを採譜し
現在に至っている。その物悲しくも美しい旋律は、聴く者に
平家落人悲劇を想起させるに十分な役割を果たして来たといえる。 
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