山形・蕎麦街道を巡る(1)   最上川三難所蕎麦街道     09-10-21
 「奥の細道」に随行した曾良は「羽黒山詣の折、芭蕉と共にそば切りを振舞われた」と記している(曾良随行日記)。とすれば
江戸に蕎麦切りが伝わった時期とあまり差が無いことになる。村山市周辺は昼夜の温度差が激しく古より蕎麦栽培が盛んで
あったが、主に「かいもち(そばがき)」として食に供されていた。そば切りの技術は信州高遠城主・保科正之の米沢移封時に
(1636年~)もたらされ家庭の伝統食として根付いた。「焼畑は男の仕事、蕎麦打ちは女の仕事」とされ、技術も道具も母から
娘へと受け継がれるようになったのである。蕎麦屋の誕生は明治末期で、そば打ち上手な家がいつしか蕎麦屋になったといわ
れる。今日では「町興し」の重要な一役を担うまでに成長。「最上川三難所」「大石田」「尾花沢」の三つの蕎麦街道が覇を争う。
 
三郎兵衛(村山市) あだち(村山市) 板蕎麦
「最上川下り」の終着点”隼”近くにある。
築200年の民家、囲炉裏が切ってある。
二代目の主人が手打ち実演をやって
いるが、とても一人では打ち切れまい。
人気店の辛いところである。
「最上川下り」出発の船着場前にある。
蕎麦は1年分を買い付け「雪室」に貯蔵し
ている。「蕎麦に対する考え方が違うので
”蕎麦街道”には加入しない」という拘りの
店。珍しく細くて長い喉越しも良い蕎麦。
下段が山形の「板そば」、杉の柾目の浅
底の箱に盛る独特の形式。太くて短く硬
い田舎蕎麦である。盛りは多く普通の倍
はある。出汁はやや甘め。薬味は白葱に
山葵。稀に大根の搾り汁もある。
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郷土蕎麦 全国各地にに地域特有の伝統的な蕎麦の「打ち方・供し方・食べ方」が伝えられている。蕎麦研究家の太野諆
郎氏によれば30余を数えるという。著名なものを挙げれば青森県の「津軽そば」、盛岡の「わんこそば」(客への振る舞い)、
山形の「板そば」、福島県の「会津そば」、新潟の「へぎそば」(フノリを繋ぎに使う・独特の盛り付け)、長野県の「戸隠そば」
(独特の打ち方とボッチ盛り)福井県の「越前そば」(辛味大根おろしを使う)、兵庫県・出石の「出石そば」(出石焼きの小皿
(5枚)に盛り・鶉卵)、島根県・出雲の「割子そば」(三段重ね・ぶっかけ)、徳島県の「祖谷そば」(婚礼など祝い事の締めに)
、長崎県の「対馬そば」等々である。各地の自然環境・作物・風習等が反映されていてく面白い。歴史・文化を大切にしたい。
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