江戸蕎麦の新しい旗手を目指す                     10-2-5
「江戸蕎麦」が確立したのは文化・文政時代(1800年代初期)の頃であったという。開幕以来江戸の人口は着実に増加していったが
「振袖火事」(1657年)がこれに拍車をかけた。復興のため職人達が大量に流入したためである18世紀初頭には人口50万人を数え
るまでになった。急増する外食需要に対応して辻売り・振り売り、屋台等が現れた。とりわけ「蕎麦」はファストフードとして当時の男性
独身者の人気を呼んだようである。「江戸蕎麦」の特異性は、「郷土蕎麦」と異なって「家庭料理」としてではなく「外食産業」として発展
したことにある。細くて白い洗練された喉越しの良い二八蕎麦。砂糖・味醂・醤油と鰹で作る濃厚な出汁。延し棒3本を使う独自の打ち
方(狭い場所でも打てる)、せいろ盛り・・・かくして「江戸っ子の粋」と混交しながら新たな蕎麦食いの習俗が生み出されたのである。
 
利庵(東京・白金台)  07-7-24 浮世絵(豊国画) 江戸蕎麦・ほそ川(東京・両国)09-7-14
(裏面は夜景)
 
裏面は「かつぎ」の浮世絵
格子戸の向こうは古い民家。インテリアも
それに合わせた造作。昼間は行列が出来
るとの評判の店。花番が3人。店員の多さ
に驚く。蕎麦は洗練・細切り、江戸風辛汁。
 
江戸中期の蕎麦風俗を描いた浮世絵の
代表作の一つ。。肩に担いで移動してい
た。「二八そばうんどん」とある。右肩に
美しい多色刷版画である。
 裏面の写真
は「かつぎ」(出前持ち)
店内はゆったりした空間があり落ち着く。
常陸秋蕎麦十割。やや硬め細切り量は少
ない。辛汁。名前の
通り江戸蕎麦。「穴子
の天麩羅」
は絶品。「2009年ミシュランガイ
ド一つ星」に認定される。
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蕎麦職人のこと 江戸時代の蕎麦屋は屋台を除いて殆どが専門の職人を雇い入れていたという。職人の多くは農民や町人出身者で
あったが、浪人や武家の次男坊・三男坊からの転身者も少なくなかったとある。また職人を派遣する「宿や」と呼ばれる口入れ業者もあり
賑わったらしい。一口に「蕎麦職人」と言うが、職分は「板前・釜前・仲台・花番・外番」に分かれていた。「板前」は蕎麦職人の最高位にあり
蕎麦打ち専門、「釜前」は茹でから盛り付けまでを担当し、「仲台」は種物・小料理の係りであった。「花番」は来客応接が役割で、注文を内
に通す”符丁”は現在も「神田籔」で聞くことが出来る。「外番」は出前持ちのことで「かつぎ」とも呼ばれた。天秤で蕎麦を担ぎ町を駆け抜け
る威勢のいい粋な姿は江戸の華でもあったと伝えられる。蕎麦屋を巡回し蕎麦粉を挽く「臼屋」もあった。この職分は今日も守られている。
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