奈良に元正天皇の故事を訪ねる         10-9-1
元正天皇の詔勅「ソバを作り慌に備えよ」(722年)が発せられて以来、奈良とソバの関わりは深い。八代将軍吉宗によって造られ
た「森野旧薬園」は、東京の小石川植物園と並ぶ日本最大の薬草園で300種に及ぶ薬草が現在も栽培されている。その中に「つ
るそば」と呼ばれる「宿根そば」がある。一般に食される蕎麦は一年草であるのに対して「宿根そば」は多年草で根茎を持ち、開花
・結実もするが脱粒性が激しいために食用には不向き、「漢方薬草」に属する。薬草園ではそのほか多種の蕎麦を栽培している
が、それは「解熱剤」などに用いられるという。また奈良は昔から「吉野箸」の産地としてで有名であった。輸入に押され現在では
高級品として辛うじてその地位を守っている。杉の香りと縦に真っ直ぐ割れて折れない「吉野箸」は蕎麦に最適だと思うのだが。
 
奈良・山の神 10-1-23 奈良あやめ池・彦衛門  10-1-23 森野薬草園と吉野箸

築130年の古民家を移改築。内部は近
代的フローリングの大広間。古民家の佇
まいは無い。門横に蕎麦打ち場がある。
粉は尾花沢産。外1割で硬い。酒類はビ
ールだけ。簡素な品書き。
大阪南・宗右衛門長で父親が蕎麦屋を
やっていた。東京で修行し奈良で開業。
「絹挽きせいろ」と「粗挽きせいろ」の2種。
粉は丸岡産・九一。壁にご主人のモット
ーが掲げられている。
上段は「森野薬草園跡の史跡」である。
薬草畑に多種の草花が育つ。
下段は「吉野箸」。全国の箸消費量は
約250億膳。97〜98%は海外輸入品。
国産の殆どは吉野産といわれる。
片倉康雄と魯山人 北大路魯山人は書家・画家・陶芸家として著名であると同時に美食家であり自ら調理場にも立つ料理人
でもあった。大正14年、魯山人が料理人として盛名を博した赤坂の「星ヶ岡茶寮」では献立の後段に蕎麦を供するのが常であり、
信州から玄蕎麦を取り寄せ自家製粉していたという。丁度その頃(昭和2〜3年)、片倉が開いた「一茶庵」が気鋭の店として次第
に注目を集めつつあった。魯山人が一茶庵を訪ね二人は知り合ったという。「器は料理の着物である」「食材の持ち味を生かす」
が魯山人の料理哲学であり、片倉に大きな影響を与えた。爾来、片倉はせいろ・盛り蕎麦等の器・薬味入れなどの塗り物をはじ
め、そば猪口・徳利などの焼き物にも手を染めたのである。このためか器物に凝り、自ら器作りに励む蕎麦屋も決して少ない。
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