比叡山延暦寺と蕎麦の歴史を紐解く                 10-9-2
開祖・伝教大師(最澄)が持ち帰った蕎麦種が我が国のソバ栽培の始まりである(805年)とする俗説がある程、比叡山と蕎麦の
関係は深く長い。五穀(米・大麦・小麦・大豆・小豆)断ちの荒行・千日回峰に挑む修行僧の体力を支えたのは「そば」であったし、
親鸞聖人(叡山修学1181〜1201年)の身代わりになったという「蕎麦食い木像」の話も良く知られている。その延暦寺では、毎年
5月17日に「天皇御講」(桓武天皇の命日)が行われ、京都の「晦庵河道屋」当主が手打ち蕎麦を献供するのが恒例となっている。
これは、明治28年(平安京遷都1100年)に河道屋13代植田安兵衛が「蕎麦志」(そば史)を著したことに遡るとされる。その「蕎麦
志」には、延暦寺建立(788年)・平安京遷都(794年)と時を同じくして植田家の先祖が奈良から京都に移住したと認められている。
 
晦庵河道屋 08-6-6(再掲) 有喜屋(京都・先斗町) 09-5-15 笹屋(京都・仏光寺通り) 07-6-20
 静かで心安まる空間。建屋は古く老舗
の雰囲気十分。蕎麦粉は北海道・十勝
産の七三。もっちりした歯ごたえ、丹後
の山芋のせいかふっくら。出汁は濃く
甘め。創業享保8年(1723年・菓子屋)
先斗町・歌舞練場隣。加茂川おどりの最
中なので開店後直ぐ満席。先斗町価格。
創業・昭和2年の老舗。三島吉晴氏率い
る蕎麦道場が有名。支店も多い。BGM
に流れる三味の音は心地よい。
細い横道を入った突き当たり。京都らし
い佇まいの店。店内には趣味で集めたと
いうアンティークが飾られる。秀吉愛用の
「豊国水」と同水系の地下水を使うという。
常陸秋蕎麦・・珍しく韃靼蕎麦がある
寒晒し蕎麦  江戸時代には諸国大名260数藩から徳川幕府に毎年季節に合わせて献上物が贈られていた。その内蕎麦を
献上していたのは9藩にのぼる。献上の時期が新蕎麦の穫れる秋であったのは当然のことだが、意外や伊那・高遠藩と諏訪・高
島藩は真夏に蕎麦を贈ったという。寒晒し蕎麦であった。1月の厳寒時に清流に玄蕎麦を10日間程浸し、更に寒風下で天日干し
をした後に土蔵で夏まで熟成させたものを「寒晒し蕎麦」と呼ぶ。モチモチ・シコシコ、あくが抜け舌触りが良く甘みと純白さが増
すという。永い間文献に残されただけの「幻の蕎麦
とされていたが、昭和49年頃から山形で復元への試みが行われるように
なり、現在は量産も可能となった。平成12年、保科正之と共に山形へ去った「寒晒し蕎麦」が故郷・高遠の地に戻ったのである。
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