北前船の贈り物「にしん蕎麦」                 10-11-5
「にしん蕎麦」発祥の地が京都であることは案外知られていない。「鯖寿司」「鱧落とし」など海の無い京都に魚介の名物料理
があるのは意外ともいえる。鱧は瀬戸内から淀川経由で、鯖は若狭湾から峠を越え「鯖街道」や琵琶湖を渡って京都へ届けられ
ていた。もちろん「にしん」や「棒鱈」は北海道で干物に加工され北前船で若狭へ送られたのである。ともに京都にもたらされた貴
重な蛋白源であり保存食でもあった。京の地で棒鱈は京芋と組み合わせられ「いもぼう」(写真右上)になり、鰊は蕎麦と出会って
「にしん蕎麦」という新しい味が作り出された。京都四条・南座横の「松葉」のホームページには『明治15年「にしん蕎麦」を発売し
た。元々、京都には月末に「鰊と茄子の炊き合わせ」を食べるいう習慣があったためか瞬く間に京都中の評判になった』とある。
 
松葉(京都)  10-11-2 やぐ羅(京都)  10-11-2 「いもぼう」と「にしん蕎麦」
 
 創業は文久元年(1861年)、北座前に芝
居茶屋を店開きしたことに始まる。「にしん
蕎麦」は二代目与三吉が明治15年に開発
した。現在では観光客で賑わう五階建て
のビル。老舗の重厚さは失われている。
 南座向いのにある明治33年創業の店。
「やぐ羅」の名前は直ぐ近くにあった「北
座」の櫓(現存)に因んで付けたものか?
「にしん蕎麦」は創業時からの定番。京都
では百年くらいでは老舗とは言えない?
上段は「いもぼう」、棒鱈と京芋の煮付け。
下段はおなじみ「にしん蕎麦」、やや細切
りの蕎麦に秘伝の煮つけをした身欠きに
しんと出汁(昆布・数種の削り節・醤油・砂
糖)の極上のアンサンブル作品。
盛りかけ 「もり蕎麦」は蕎麦の基本形であると信じられている。蕎麦自体の香り・色・味わいを追求すると必然的に辿り着
く到達点であろう。「当店は蕎麦屋ですから温かいものはありません」と張り紙を掲出しているのは兵庫・篠山の一会庵である。
広島の「達磨」の品書きは「二八の盛り」一品だけだ。江戸時代の「夜鷹蕎麦」「夜鳴き蕎麦」は当然のことながら温かい「汁そば」
であった。蕎麦の代表が「もり」と「かけ」であるとすることに恐らく異論は無かろう。ところで、蕎麦屋の品書きには「盛り蕎麦」「ざ
る蕎麦」「せいろ蕎麦」「田舎蕎麦」とあっ.甚だ紛らわしい。「盛り蕎麦」「せいろ蕎麦」「ざる蕎麦」は基本的には器の違いなのだが、
「ざる蕎麦」には海苔がかけられていることが多い。「田舎蕎麦」は挽きぐるみ粉で色が黒っぽく野趣に富んでいる。
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