蕎麦で町興しが進む広島・豊平町・・・           10-12-15 
大分県の平松知事が「一村一品運動」を提唱したのが1990年。全国各地に「蕎麦による町興し」が始まったのもその頃のことであ
る。福島県山都町・富山県利賀町・長野県富倉町・茨城県金砂郷町等々名前を挙げると限が無い。、広島の豊平町もその中の一
つである。高橋邦弘氏を招聘し「そば保存会」(1989年)設立を皮切りに官民挙げての町興しが始まった。年一回の蕎麦祭り・段位
認定制度、そば道場・宿泊施設、新蕎麦種「とよむすめ」の栽培も定着、やがて高橋氏も山梨から豊平町に移り住み「達磨」を開業
した.。達磨に集まる人、段位取得を目指す等・・この町を訪れる人は年々増加、豊平の名前が全国に知れ渡るのにそう時間はかか
らなかった。元来つながりにくい蕎麦ではあるが、何故か「人を集め、人を結びつける」ことには隠れた魔力を持っているようである。
豊平蕎麦道場風景 10-12-10 達磨 10-9-27
 蕎麦の新種「とよむすめ」


広島市中心から車で約1時間半、標高3
〜400mの山間に”道の駅”「豊平どんぐり
村」がある。十人程が同時に蕎麦打ちの
出来る道場がある。蕎麦食堂に温泉宿泊
施設、蕎麦好きには堪えられない場所だ。
あの山梨の繁盛店「翁」を弟子に譲って
吸い寄せられるように豊平町に移り住み
新店「達磨」を開業。店主高橋邦弘氏は
愛車「達磨号」で全国を駆ける。蕎麦普
及のためだ。「達磨」の開店は週1〜2日。
豊平の看板娘はそば粉の「とよむすめ」
生まれは「北陸農業試験所・新潟」で葛
生在来から選抜された。高収量性と高
ルチン含有が開発の狙い。五穀豊穣と
花の可憐な姿から「とよむすめ」とした。
蕎麦の盛り 作家の椎名誠氏が1985年と2009年に書いた二つのエッセイで、「蕎麦の盛り」の少ない蕎麦屋に怒りを爆発さ
せている。前者のタイトルが「モリソバの伝統的欺瞞を粉砕する」で、後者は「殺してやりたい蕎麦」であった。少なくとも氏は24年
間も同じ怒りを持ち続けていたことになる。確かに極端に盛りの少ない蕎麦屋があることは事実で、パラパラとかろうじてせいろの
表面が隠れる程度に薄く盛られた蕎麦に出くわすことがある。関西でお目にかかることはまず無いし、地方へ行くと盛りは一層多く
なる。従ってこれは東京特有の現象と言える。元々江戸時代の蕎麦は主食ではなく、小腹をおさめるスナックの一種であり、銭湯
帰りに一杯ひっかけて最後は蕎麦で締めくくるのが「江戸の粋」であった。蕎麦は三箸半という、極少盛りはその名残りと思える。
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