大坂は蕎麦屋発祥の地か?               ‘11-1-12
豊臣秀吉が大阪城の築城を始めたのは天正11年(1583年)、完成には15年かかった。築城の際、現在の西区・新町公園付近に
砂利置場があって、その辺りを「砂場」と呼んでいた。正確な時代は不詳だが、その砂場に「いずみや」と「津の国屋」という蕎麦屋が
現れ繁盛を極めたと記録にある。ところが嘉永2年(1849年)出版の「二千年袖鑒」に津の国屋の創業が天正12年(1584年)とあ
ったために「我が国最古の蕎麦屋」ではないかと言われるようになった。新町南公園に建つ碑には「本邦麺類店発祥の地」とある。
我が国蕎麦史の第一人者である故新島繁氏は、他に記録文献が一切無いことから「最古の蕎麦屋説」に否定的であったのだが。
ところで秀吉の「そばがき」好きは有名だが、1598年に亡くなった秀吉が「そば切り」を知っていたかかどうか、微妙な話ではある。
いもせ(大阪・玉造) 10-11- 仙酔庵(大阪・城東) 11-1-11 大阪城と新町南公園の碑

玉造駅から徒歩約十分。古民家風の店舗
入り口右には古井戸。店主は一茶庵・横
浜で修業したという。檜一枚板のカウンタ
ー席が中心。東京風の辛汁の二八。大阪
城・玉造口は近い。
広い敷地を持つ古民家。洋室・和室があ
る。すべての座席から庭が見える設計。
静かな落ち着いた雰囲気だ。細切り・粗
挽きの二八。透明感のある上品なそば。

熱い鴨汁に冷たい蕎麦がぴったり合う。
写真下段:西区新町南公園に昭和60年
建立の「砂場跡地」の碑。「大阪城築城史
蹟にして、本邦麺類店発祥の地」とある。
東京砂場の源流は大阪であった。
上段写真は大阪城。
蕎麦の味(2) 人間の味覚機能は味蕾・味覚神経等は概ね3歳頃には完成するらしいが、それ以降の食経験や学習の積み重
ねによってより高次の味わい機能が付加されて来るという。(「美味の構造」山本隆著) 食べ物の好みの違いもそこに起因するよう
だ。そこで蕎麦の味の話だが、一口に蕎麦と言っても産地が違えば味も当然のことながら異なるし、粉の取り方も更科から全粒粗挽
きまで多種多様である。収穫の年度・保管の状況によっても、さらには打ち方・茹で方によっても大きな違いが出てくる。真正の蕎麦
屋は夫々に独自の味づくりを目指して日々努力する。味わい分ける蕎麦味覚をぜひ持ちたいと思うのだが道はなお遠い。「人間」の
学名は「ホモ・サピエンス」(知恵ある人)だが、これはラテン語のSAPIO(味わい分ける)が語源だという。味わい深い話である。 
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