「太切り蕎麦」は定番品書きになり得るか           11-1-28
「切りベラ23本」とは一寸幅の蕎麦麺体を23本に切り揃えることであり今日も継承されている江戸並蕎麦の定法であった。これ
より
幅狭いものが「細切り」と呼ばれ、50〜60本に切る極細(0.5ミリ)もあったという。江戸っ子の粋な食べ方(手繰って啜る、喉越
し重視)に適応していたのだ。したがって「太切り」は当時の江戸蕎麦職人の技には無かった。出雲・山形などの郷土蕎麦は一般
的に江戸蕎麦より太いものが多い。もともと蕎麦の味わい方(噛んで味わう)が異なっているためである。関西には「極細」もあるが
幅が7〜8mmもある「超太切り」の蕎麦(写真中央上)がある。「切りべら23本」の江戸蕎麦のイメージには合わないが、「ズズッー」
ではなく「モグモグ」、「手早く」ではなく「ゆっくり」と噛んで味わう、もう一つの蕎麦文化の誕生があっても良いのではないか。
山親爺(神戸・春日野道) 11-1-28 太切りと細切り蕎麦 蕎花(能勢)  09-11-20
駅から登り坂を約10分。息が上がる。寒い
ので鴨汁と「太切り」を注文。その太さに思
わず息を呑む。大阪の名店「凡愚」の孫弟
子。「太切り」は直伝。北海道ではヒグマを
山親爺というらしい、ご主人似(奥さん談)
上段は「山親爺」の鴨汁太切り蕎麦。茹
で時間は6分半とのこと。普通の約十倍。
溜息。ノビないので酒のアテにぴったり。
一本づつしっかり噛んで食べる。下段も
同店の細切り蕎麦(標準よりやや細い)。
能勢電・鼓が滝駅すぐ。町の食堂風の店。
見かけの割に蕎麦はしっかりしている。
北海道産の十割・硬め・味は薄い。出汁
は辛め。BGMにはジャズが流れる。ご主
人は無口。奥さんの愛想はよい。
江戸蕎麦の産地は?江戸の人口はすでに18世紀初頭には100万人を超えていたと言われる。また江戸末期の蕎麦屋数
は3763軒を数えたという記録もある。いずれにせよ巨大な胃袋が消化した蕎麦の量は膨大なものであったことが容易に想像され
る。「本朝食鑑(1696年)」に”江戸蕎麦の多くは武蔵、上総、常陸の国等の近郊で栽培されたが、味は信濃産に及ばない”とあ
るのを見ても、相当量の信濃玄蕎麦が江戸に流入していたことは間違いないと思われる。だが陸路輸送ともなれば容易なことでは
ないと疑問が湧く。それに信州大の井上直人教授が見事答えてくれた。当時の信州におけるそば栽培は甲斐に隣接する川上村に
不自然に集中していたという。川上村から甲斐の国へは陸路、そこから富士川を船で下り海路を経て江戸へ到着。謎は解けた。
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