古都に咲く名店を訪れる(奈良編1)      07-11-15記
 ソバに関する初見は奈良時代、第44代元正天皇(女帝)が凶作の際に「救荒作物として晩禾・蕎麦・大麦・小麦の栽培を奨励
した詔勅」〔722年)を発したと記される「続日本記」に始まる。その故をもって、元正天皇は今日もなおそば関係者の間で「蕎麦
祖神」として崇められ毎年5月26日(詔勅ガ発せられたとされる日)に周年行事が行われていると聞く。かつてそば栽培がこの
地方で相当広く行われていたことが窺われるのである。役行者(小角)が信州・高遠を旅(山岳信仰)する途中で病に倒れた
ころを地元に人に助けられ、お礼にソバ種を送ったのが信州蕎麦の始まりであるとも伝えられる。伊吹で始まったソバ栽培が
吉野へ伝わり行者の携行食となって信州へという構図が浮かび上がる。真偽はともかく、歴史は壮大なロマンを繰り広げる。   
季のせ
 30食限定と聞いて30分前から門前に並
ぶ。路地裏に入り口。蕎麦は細切りの10
割。バランスの取れた蕎麦。春鹿酒造の
屋敷内のあるためか酒類も酒肴も多い。
ご主人は元々は楽器を作っていた。 
 当麻寺の門前、町屋風のお店。2時を過ぎていたので貸しきり状態。甘皮を挽き込んだ薄緑色の蕎麦。日本酒をついつい過す。これも蕎麦の醍醐味。ご主人は鉄工所を経営から転じて蕎麦屋になった。     猿沢の池近く、古都の町並みが続く奈
良町にある。開業して未だ3年、新進気鋭
である。二八蕎麦を食べる。艶があり弾
力性もあって好みの蕎麦。天川村の湧き
水を使用。汁は鰹のみの辛目関東風。 
 蕎麦前のこと 酒は蕎麦を食べる前に飲むので「蕎麦前」と言う。江戸時代の蕎麦屋の酒は美味かったと聞くが、それは
当時は酒に水を加え薄めて売り、利益を得る酒屋が多かったなかで、蕎麦屋は酒が本業ではないので生のままで売っていた
ためであるともいう。蕎麦の最大の特徴はシンプルさ・素朴さにある。当然ながら、酒肴も薬味も酒もシンプルであることが必須
条件になる。蕎麦屋は蕎麦に合う日本酒を選んでいたのであろう思われる。池波正太郎は「酒を飲まずは、蕎麦屋に来るべか
らず」といった。かくいう私も、リタイヤーして初めて昼間の「蕎麦と酒」を口にすることが出来るようになった。楽しみがまたひとつ
増えたようだ。足し算の人生を是非今後とも送って行きたい願うのは決して私だけではあるまい。昼間酒はことのほか美味い。
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