岩手「わんこそば」の由来・・・     11-9-6
盛岡駅から乗ったタクシーで「お客さん・・ハラタカシ知っていますか」といきなり聞かれた。続いて彼が語りだしたのは「わんこ
そば」の由来であった。「わんこそば」の発祥には二説ある。その一つは、平民宰相で名高い原敬がお国入りをすると蕎麦を
お椀でお代わりをしながら食べrるのを好んだというが、ある時、原が「蕎麦は”椀子”に限る」と言ったことが始まりになったと
する盛岡説。もう一つは、部藩の第27代藩主・利直公(1576〜1632)が江戸参勤の途中、花巻で蕎麦を供したところ何杯も
お代わりをしたのが始まりであるとする花巻説である。両説互いに譲らず「おらが蕎麦」を主張するところが面白い。南部藩
に昔から「お立ちそば」「そば振る舞い」の風習があったことは間違いない。「全日本わんこそば大会」は53年の歴史を刻む。
直利庵(盛岡) 11-7-7 盛岡城跡と原敬記念館 高松庵(花巻) 11-7-6

創業は明治17年。「わんこそば」を最初
に商売として考案した店。好評だったの
で昭和25年に正式に品書きに加えた。
店名の「直利」は藩主・利直公にあやか
って付けたものであろうか。
盛岡城址を訪れたが現在は公園。残っ
ているのは石垣と「本丸の碑」のみ。朝敵
南部藩の城修復は進んでいない。
下段:原敬記念館。爵位を固辞し続けた
平民宰相・政党政治(政友会)の草分け。
花巻の「宮澤賢治記念館」にすぐ近い所
にある。「暮坪そば」を初めて知り早速注
文する。暮坪おろしがたっぷり付いてきて
満足する。粉は現地産。
暮坪そば 遠野の上郷暮坪地域にだけ生育する「暮坪かぶ 」がある。これをおろして薬味にした蕎麦を「暮坪蕎麦」という。
姿は大根だが葉はれっきとした「カブ」なのだ。天正時代というから400年ほど昔、近江の薬売り弥右衛が遠野に伝えたとさ
れている。辛み大根の一種だが尖らず丸みのある辛味で、蕎麦との相性は抜群である。「怒りながら大根をおろすと辛くなる」
という言伝えがあるがこれは本当らしい。辛みの成分である「インチオシアネート」はそのまま大根の中に存在するわけではな
く、大根を切ったり、おろしたりする際に細胞が破壊され初めて化学反応が起こり生成される。細胞を効率よく破壊するには
「おろし金」に垂直に一気にすりおろすのが良い。先端ほど辛みが強く、皮付きのままおろし5分位い経ったものが最辛という。
         
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