宮澤賢治がこよなく愛した郷土蕎麦      11-9-12
宮澤賢治は詩人・童話作家であると同時に花巻農学校で教鞭をとる科学者(地質学)でもあった。その頃賢治は足繁く蕎麦屋
に通った。「ブッシュへ行こう」と言うのが口癖で「天婦羅そばと三ツ矢シャンペンサイダー」を注文するのが常であったという。
「ブッシュ」は当時駅前にあった「やぶ屋」(蕎麦屋)のことで賢治はそこの常連であった。天婦羅そば(熱汁)と三ツ矢シャンぺ
ーンサイダー
の組み合わせも何とも不思議に思うが、天婦羅そば15銭に対してサイダーが23銭したというのも驚きだ。盛岡
中学の先輩・石川啄木も大の蕎麦好き、賢治の詩碑(アメニモマケズ・・の後半部分)に筆をふるった高村光太郎(戦争末期、
花巻の賢治の実家に疎開していた)も,もう一つの名店「嘉司屋」(第一回全日本わんこそば大会開催店)に通ったという。
やぶ屋総本店(花巻) 11-7-6 賢治記念館と啄木の書 東屋(盛岡) 11-7-7
賢治に「ブッシュ」と呼ばれ愛された。
創業は大正12年。賢治が花巻農学校
の教師に就任した直後のこと。現在は
観光客が多い大型店舗になっている。
店の奥で「わんこそば」を楽しむグルー
プが賑やかであった。
山の中腹に立つ記念館。賢治の多彩な
一生を過不足なく伝える。詩・童話・教育
・農業・科学・・・近くに「イーハトーブ館」
(賢治は岩手をそう呼んでいた)がある。
下段:盛岡駅舎にある「もりおか 啄木」
の書。啄木自筆書簡から集字したもの。
創業は明治40年。南部そば会席・南部
そば振る舞い・わんこそば等品書きは多
い。盛岡の最繁盛店の一つ。蕎麦から会
席料理へウイングを広げている。店内壁
一面に有名人の色紙が貼られている。
塩害地で蕎麦 長野・戸隠の若手そば店主達で作る「戸隠麺‘Zクラブ」のメンバーが、東日本大震災で被災した岩手県陸
前高田市の津波による塩害農地(15アール)にソバ種を蒔いた。きっかけはこうだ、大震災で家を流され現在は避難所暮らし
を続けている金野誠一さん(59)が気仙沼市役所の職員をしていた頃、蕎麦の栽培に興味を覚え戸隠へ勉強に行き、ついに
は役所を辞めて信州に移住し蕎麦栽培を始めた。ところが、今回の災害に見舞われ再び実家に戻って農地再生に取り組ん
でいたのだ。その姿に「戸隠麺‘Zクラブ」の山口輝文さん(55)が心を打たれ「蕎麦栽培」の提案をしたのである。蕎麦は吸肥
力が強い上、他の植物の成長を抑制する「他感作用」を持つため開拓地や荒地に向くとされる。果たして塩害に勝てるか。
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