「濃い口醤油」が興した江戸の外食産業     12-2-10
急増する江戸の人口、とりわけ独身男性(職人・下級武士)増加が江戸の町方に必然的に外食産業を勃興させた。代表的な
料理は蕎麦・寿司・天婦羅・蒲焼等であったが、せっかちで辛口の好きな江戸住民には真にうってつけだったといえよう。もう
一つ、「濃い口醤油」の出現を忘れてはならない。当時の江戸は上方からの「下りもの」の独擅場で江戸固有の食文化は未発
達であったが、近隣地に上質の「濃い口醤油」が誕生することによって初めて「江戸前の料理」が自立可能となったからであ
る。これに伴い八百膳のような大料理屋も現れて来たが、主な担い手は気軽に立ち寄れる小規模な屋台であった。数度にわ
たる大火の経験から街角に設けられた火止め空地へ屋台が集まって来たのだ。一日三食が定着したのもこの時期であった。
「日本橋通り」の写実絵(熈代勝覧・文化2年・1805年)・・山東京伝作とも言われる。
 菊亭八百膳  蕎麦屋  いなり寿司
★絵は全てネットから拝借。権利は全て失効しているとのことです。
濃口醤油の誕生 蕎麦切りのつけ汁は元々は「垂れ味噌・大根おろし」であった。「垂れ味噌」とは味噌に水を加えて煮詰
め、布袋に入れて濾した汁のことである。現在も信州地方などで辛味大根おろしと共に使われている。さて醤油だが、源は紀
州・興国寺の僧が開発したとされている。しかし「たまり醤油」であったため醸造に3年もかかって実用性に問題があったとい
う。そこへ大消費地・江戸に近い銚子で短期醸造(1年)の「濃い口醤油」が考案されたのである。寛永10年(1697年)のことで
あった。香りが高く旨みの強い濃口醤油が江戸前料理の味のベースを作ったのである。近郷から大豆、塩が容易に入手出来
たうえ、水質も良く、何よりも湿度と気温に恵まれていたのが幸いした。現在、全国の醤油消費量の9割は濃口醤油である。
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