幻の「富倉蕎麦」を北信州に訪ねる       11-12-5       
「そば時や月の信濃の善光寺」・・・信州の名物は姨捨山に懸かる秋月と善光寺の阿弥陀如来そして蕎麦の三つだと一茶が喝破
したように、山間冷涼地は稲作に向かないところからソバ栽培が古来盛んであり、外食として広がった江戸等とは異なって、暮ら
しへの関わりもより密接であった。褻(ケ)の食として蕎麦切りと同様に、蕎麦がき・薄焼き・団子・粥・焼餅・蕎麦米など多様な広が
りを見せていた。昭和57年、長野県の伝統食として「手打ち蕎麦・お焼き・御幣餅・スンキ漬・野沢菜漬」を長野県選択無形民俗文
化財」に指定した。全県的に蕎麦処が広がる長野県が日本蕎麦文化の一つの中心であることは紛れもない事実である。が、一部
に信州産蕎麦粉の使われていない「信州蕎麦」が蕎麦屋の店頭を賑わせているのもまた残念ながら紛れもない現実なのである。
はしば食堂(長野県飯山市)11-11-17 善光寺と富倉蕎麦 みよ田(長野市) 11-11-17

長野県北部飯山市からさらに北へ富倉村
がある。人口減少にあえぐ寒村だ。はし
ば食堂は三軒だけ残った蕎麦屋の一つ。
おばあちゃんが一人でやっている。雄山
火口を繋ぎに幻の「富倉蕎麦」を打つ。
上段は善光寺。下段がはしば食堂の「富
倉蕎麦」黄色みがかった艶やかに光る伸
びやかな蕎麦が出来上がる。盛り付けは
「戸隠蕎麦」のボッチ盛り(馬蹄形)と似て
いる。裏に「雄山火口」の写真がある。
ホテル近くの小奇麗な入り口に惹かれて
入ったのが「みよ田」。現地の「日穀製粉
(株)」が経営しているという。蕎麦粉は信
州に非ず。北海道北空知産を使っている。
信州産は高価で手が出ないという。。
雄山火口(オヤマボクチ) 蕎麦のつなぎは多種多様である。古くは卵・山芋、ふのりやよもぎ・大豆などが使われた。小麦粉
のつなぎが現れたのは寛永年間(1624〜44)と言われる。富倉では山間斜面地が多く小麦の栽培は難しかった。小麦粉が高価
であったため入手も困難であったと思われる。オヤマボクチはキク科ヤマボクチ属の多年草で、乾燥させた葉から葉脈を取り煮込
んで水に晒しもぐさ状にしたものを使う。火縄銃の着火材としても使われていて、上杉謙信が富倉峠を越え川中島へ兵を進める際
に当地で調達をしたと伝えられる。現在は加工に大変手間がかかるため高価(10g1000円)で一般には使われることは少ない。長く
つながり、つるつると艶やかで喉越しも良く一部の蕎麦好きにはに幻の蕎麦(最近は東京でも食べられる)として珍重されていた。
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