純白の蕎麦を何故「さらしな」と呼ぶのか?      12-3-3               
「更科のそばは好けれど高稲荷森を眺めて二度とこんこん」(蜀山人?)。当時から永坂更科は御前蕎麦(白)を供する高級店で
あった。では「純白な蕎麦」は永坂更科が開祖かというと疑問が残る。「蕎麦全書」(日新舎友蕎子・1751)の中に「雪巻蕎麦・三
色蕎麦・五色蕎麦」という記述があり既に純白な蕎麦があったことを物語っている。同書には「さらしなそば・更級そば」も別に
記載されているので、当時は「さらしなそば」≠「純白な蕎麦」であったと推測される。ところで蜀山人が「蕎麦は良いが値段が
高い」とした「信州更科蕎麦所布屋太兵」は寛政2年(1790)の創業だが、永坂に屋敷があった保科家(主家)の支援もあって
大名屋敷・有名寺社への出入りも多く評判の店となった。「さらしな」が純白蕎麦の代名詞になるのに時間は掛からなかった。
永坂更科総本家 11-11-19
永坂更科の「御前蕎麦」 更科堀井総本家店 11-11-19

創業期の「永坂更科」に最も近い地に建
つ。「永坂更科布屋太兵衛」を名乗るが
創業家(堀井)とは直接つながってはい
ない。屋号は戦後再建時に設立した株
式会社が所有する。
上段写真をクリックして拡大ください。
更科では白度91.5〜92を基準にしてい
る。漬け汁は更科独自の「から汁」と「あ
ま汁」の二種類が出てくる。「御前」の名
は四代将軍家綱御用達に始まる。
創業者堀井家直系のお店。「布屋」は
株式会社の商標登録のため使用でき
ず、創業家の堀井を冠し「更科堀井」と
した。血統的にいえばこの店が「布屋太
兵衛」を継ぐ直系と言える。
更科蕎麦 十割蕎麦は色が黒く、白っぽい色をした蕎麦は”つなぎ”が多い、と考える人に出会うことがある。これは全くの誤
解である。
蕎麦の実は中心に近づくほど白く、周辺部ほど濃い色になる。蕎麦の実を石臼で挽くと最初に出てくるのが一番粉
と呼ばれる実中心部(胚乳)で色は白い、更に挽くとやや灰色がかった粉でこれが二番粉(並粉)である。更に挽き続けると段
々色が濃くなり三番粉、末粉となる。玄蕎麦(殻つき)のまま挽きこむと色は真っ黒になる。つまり蕎麦の色はつなぎの割合で
はなく、実の部位による訳である。更科粉はこの一番粉からとれる粉で、殆どが澱粉質のため粘りがなく繋がりにくい。通常は
熱湯(80℃)で湯捏ねして粘りを出し繋ぐことになる。更科独特の甘みのある上品な味わいには高度な技術と手間が必要だ。