「江戸から東京へ」・・・蕎麦の冬の時代・・・        12-6-2       
「此の里に悲しきものの二つあり範頼の墓と頼家の墓と」(子規) 頼家の悲劇を岡本綺堂は「修禅寺物語」に書いた。修禅寺を
訪ねる人は今も絶えない。ところで綺堂といえば江戸後期時代考証の第一人者。「半七捕り物帳」では当時の風俗習慣が生き生
きと描写されていて、蕎麦屋と町衆との日常の深い関わり合いも垣間見ることが出来る。が、後年の書「江戸の思い出」では、維
新後の蕎麦屋の変貌(種物や饂飩を食う客が増えた)を嘆き江戸時代を顧みて懐かしむ記述がある。新明治政府誕生は江戸に
激変をもたらした。それもその、武士の数が激i減、職人は離散し、地方人の大量流入で江戸の気風・風俗・習慣が急速に希釈
されたのは当然のことである。江戸の発展と共に育ってきた蕎麦が、江戸解体後に百年続く冬の時代を迎えたのも頷けることだ。
朴念仁(修善寺) 12-5-28 修禅寺と頼家の墓 はつ花本店(箱根湯本) 12-5-29
東京の名店「流石」の修禅寺支店。座敷
から見える竹林。その傍を流れる小川の
せせらぎの音が心地よい
竹林の小径
には静かで緩やかな時が流れている。
薬味は単純、山葵のみ。
西暦807年、弘法大師により創建されたと
伝えられ、修禅寺温泉街の中心地にあ
る。二代将軍頼家は修善寺に幽閉され、
殺害されたという。墓は桂川対岸の指月
殿境内にある。
浄瑠璃「箱根霊験躄仇討」に出てくる貞女
初花から付けた店名。「山かけ」がウリと
聞き注文。まずまず。目の前を流れる「早
川」が安らぎを与えてくれる。女性観光客
でいっぱいの繁盛店。
そばの経済学 コメとコムギ粉とソバ粉の現状価格を比較すると。小売(国産1s)は夫々400〜600円、200〜300円、1000〜
1500円である。意外に蕎麦粉の値段が高い。ソバが他に比べ趣味性が高く、低反収穀物であるためなのか。自給率はコメ100%
、コムギ10%、ソバ20%。コメとコムギは価格形成に政府が介入している。江戸後期の物価を蕎麦16文(現状800円→1文50円)を
基準に換算すると、うどんは同じ16文(800円)、銭湯8文(400円)、床屋28文(1400円)、酒(1升)250文(12500円)、コメ(1s)55文
(2750円)、長屋家賃500〜1000文(25〜50千円)となる。これを平成の物価と比較すると、床屋・家賃は半値、蕎麦・うどんと銭湯は
同水準、酒・コメは4〜5倍になる勘定だ。人件費と土地が安かった江戸時代との比較、蕎麦の値段は果たして高いのか安いのか。
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