湖南の蕎麦処を訪ねる(滋賀編1)                08-2-8記
 近江の地は昔から「ソバ」と縁が深い。比叡山の千日回峰は”五穀断ち”が定法、阿闍梨を目指す僧の荒行を支えるのは今も蕎
麦(五穀に入らない)・馬鈴薯と聞く。勿論当時は切り蕎麦はなく、携行したのは団子の類であったと推測される。また奈良時代わが
国に唐よりそば種を持ち帰ったのも伊吹の修行僧であったと伝えられている。伊吹山麓は一日の寒暖の差が激しくそソバ栽培の適
地であり辛味大根の生産地でもあった。井伊家から将軍家への献上物は常に蕎麦があったと言われる。一方湖南には東海道と中
山道を分ける”草津宿”が賑わい、「街道蕎麦」が旅人の疲れを癒した時代があった。 「三日月の影を延ばすな蕎麦の花」(読み人
知らず)の碑がJR大津駅に近い”義仲寺”(芭蕉の菩提寺)にある。現在も滋賀は全国の中でも有数のソバ産地であると言える。
作 美(信楽) 黒田園 宿場そば(草津)
 信楽に近い山中にぽつんとただ一軒佇
む蕎麦屋。 元警察官であったご主人夫
婦と娘さんの三人で二年前に開業した。
蕎麦粉は福井・丸岡産の挽きぐるみ・細
切りの生粉の太打ち。 味は濃い。
    
 「作美」のご主人が開店前に修行した
野が此のお店。国道沿いの古い民家を
改造したのだが看板も表札もない。その
ぶっきらぼうさがいかにも蕎麦屋らしい。
石川産の蕎麦粉の二八。             
 草津宿の本陣跡に近い。湖西の朽木村
から水車付きの古屋を移築したのが38年
前。以来伝説の「姥が餅」屋と併設。水車
が回り、賑わった時代の草津宿の面影を
残す佇まいである。                        
蕎麦の食べ方 「此長い奴へツユを三分の一つけて、一口に呑んで仕舞うんだね。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると
咽喉を滑り込む所がねうちだよ」・・・漱石が”吾輩は猫である”
の中で迷亭先生に薀蓄を喋らせている一文である。蕎麦を食べるの
を江戸時代から「手繰る」という、これは左右の手に箸と猪口を持ち上下に糸を手繰るように食べる様を言う。江戸っ子の粋な蕎麦
の食べ方の見本であった。 
が、処変われば品変わるの例え通り、蕎麦の食べ方は地方によって異なる。江戸の洗練された二八
と異なって、地方へ行くと、ややごわごわして太目の荒々しい蕎麦に出逢うことが多い。これは汁にたっぷり漬けじっくり噛んで食べ
る。信州や出雲の蕎麦もそうであった。蕎麦と付き合うと必然的に地域の歴史・文化・習俗に出会う。これまた楽しみの一つである。
 
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