「そば猪口」にみる日本人の美意識            13-3-1              
 蕎麦は「そば猪口」というもう一つ別の文化を生んだ。確かにそば猪口の染付の藍には好事家を惹きつけて止まない美しさ・多
様さ・楽しさがある。柳宗悦に「あのそば猪口といわれる器を見よ。その小さな表面に画かれた模様の変化は実に数百に及ぶ」と
言わせたが、数百どころかその数数千になる。骨董の入門の器であると言われる由縁でもあろう。歴史を辿ると、秀吉が朝鮮から
陶工を連れ帰り有田で磁器窯を開かせたことに始まるという。元々はそば食器として用いられたものではないが、そばの普及に伴
いそば食器となり、明治になると「そば猪口」と呼ばれるようになった。現存する「そば猪口」の大半は江戸時代に有田を中心に肥
前の窯で焼かれた「伊万里焼」である。藍淡色で単純・余白の多い文様は茶道・俳句等「日本の美」の系譜に連なるものがある。
いさむ(京都・西院) 12-11-21 江戸小紋のそば猪口(市松と渦巻文様) さくら(神戸・鷹取) 08-12-23

開店前に到着。京都・有喜屋で修業し独
立したという。北海道・幌加内産の新蕎
麦。十割は一日10食数量限定。入り口近
くに蕎麦打ち場がある。ご主人は無口な
職人気質の人とみた。
写真は江戸小紋のそば猪口。江戸時代
に大名の着用した裃の文様が発祥とい
われる。後に江戸町民も小粋な着物の
柄とした。前者を「定め小紋」、後者を「い
われ小紋」という。
入り口に比べ店内は小奇麗。パーティショ
ンに竹細工を多く使ている。挽きぐるみの
十割・盛りがよい。粉は岡山産。山葵・白
葱・粗塩。蕎麦湯はポタージュ系、それに
生姜が加わるのは珍しい。
蕎麦つゆ 蕎麦つゆの元祖は味噌だったといったら吃驚するだろうか。江戸前期までは、うどん・蕎麦切りを味噌味や大根の
絞汁で食べるのが普通であった。「料理物語」(1643年)に「たれ味噌」の製法(味噌に水を加え袋に入れて垂らす)が詳しく書かれ
ている。醤油が主役になるのは江戸中期、続いて出汁は鰹でとるようになる。蕎麦全書(1751年)に「近頃のそばは鰹出汁を使うと
ころが多い」と嘆いているのを見ると、ちょうど此の頃が出汁の転換期であったのではと思われる。日新舎友蕎子は「鰹の生臭さ」を
歎いたのだが、山葵は臭みを取るためだった。鰹と並ぶ北海道の昆布は日本海を通る西回り航路で大坂に送られ関西の味を創っ
た。今日では関東・関西を問わず「蕎麦つゆ」は醤油・みりん・砂糖の「かえし」に、出汁は鰹・昆布が定番となったように思われる。
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