会津名物「高遠そば」の歴史を辿る    13-5-1                 
会津は信州・出雲・山形などと並んで日本の代表的な蕎麦処である。「蕎麦切り」は出羽山形から転封した保科正之(1643年)が伝
えたとされるが、ソバの栽培は遥か平安時代の古に遡る。磐梯山麓に高僧徳一が開いた慧日寺(807年)があり、子院・僧兵数千を
治め会津四郡を支配した。彼等は米とともにソバ(そばがき・団子)も常食していたという。会津とソバの間には1200年の永い歴史が
横たわっているわけだ。会津そばの代表的品書きは「高遠そば」だが、高遠の名は保科正之の出身地・信州高遠に由来する。辛味
大根のおろし汁に醤油を加える蕎麦の食べ方も、蕎麦打ちの技法も信州高遠のそれと基本を同じくするという。元祖・信州高遠より
も、遠く離れた会津で「高遠そば」が賑わうのも歴史の悪戯というべきであろうか。保科正之の遺産がまだ強く残る会津なのである。
桐屋権現亭(会津若松) 13-4-18 上段:磐梯山 下段:桐屋「蕎麦三昧」 かみしろや(会津若松) 13-4-19
桐屋は会津若松を代表的する蕎麦屋。権
現亭と夢見亭がある。昭和46年創業で店
主唐橋宏氏は「会津そばの会」「会津そば
塾」を主宰し後進の指導、会津そばの普
及啓蒙にも力を注いでいる。
上段は:列車の中から撮った表磐梯の写
真。まだ雪が多く残っている。(クリックす
ると拡大) 下段は:桐屋権現亭の「そば
三昧」・・左から「会津のかおり」「飯豊権
現」「会津頑固」。会津玄蕎麦に強く拘る。
鶴ヶ城近くにある。小上がりもある18席の
こじんまりした、観光客で賑わうお店。高
遠そばを注文する。盛りも良い、辛味大
根汁が味を引き締めている。出汁はやや
甘めか。
保科正之のこと 「ならぬことはならぬものです」で締めくくる「会津藩什の掟」はNHKテレビ番組「八重の桜」で一躍有名にな
った。強い団結力を誇る会津藩を支えた「家訓15条」を遺したのは初代藩主・保科正之である。正之は二代将軍秀忠の隠し子(家康
の孫)であり信州高遠藩主・保科家預けとなるのだが、やがて高遠藩主(3万石)、出羽山形藩主(20万石)をへて寛永20年(1643年)
会津藩(23万石)に栄達する。正之は名君の誉れ高く幼少の4代将軍家綱の後見役として幕閣に連なり数々の善政を施すことになる。
が、蕎麦切りを信州から出羽の国・陸奥会津の国に伝え夫々今日の「山形蕎麦」、「会津蕎麦」の興隆を創り出した功労者であること
は存外知られていない。お国替え・参勤交代等当時の幕政慣行が如何に地方文化へ影響を与えたかを語る格好の事例でもある。
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