戸隠・山岳信仰とソバの歴史              13-8-1                 
神代の昔「天岩戸」が飛来して戸隠山が出来たという神話から、戸隠神社は「岩戸開き」に功績のあった神々を祭神としてい
る。嘉祥二年(849)、学問行者によって修験霊場が開かれ、平安時代には比叡山・高野山と並んで「三千坊三山」と言われる
までに至った。全国から集まる修験者(五穀断ち)の常携行食になったのは「そば」(餅・団子の類)であった。「蕎麦切り」は江
戸時代に本山の東叡山寛永寺から伝わり、寺のもてなし料理として珍重されたという。「そば」と寺社の関わりは戸隠のみなら
ず全国各地に存在するが、戸隠は寒冷の山間地で日照時間も短く米・麦の栽培は不向きで、古くからそばが寺社・住民の生
活により深く関わっていた。千年に及ぶ関係を物語るかのように毎年11月「新そば献納祭」が行われ、宿坊で蕎麦が供される。
奥社の茶屋(戸隠) 13-7-19 上段:ぼっち盛  下段:そば玉 うずらや(戸隠) 13-7-18

戸隠神社の奥社参道の入り口にある。
神社が直接経営する珍しい蕎麦屋であ
る。カフェを思わせる建築は隈研吾氏。ガ
ラスを惜しみなく使い戸隠の自然と一体
になった店は爽やか。(裏)参道杉並木。
ぼっち盛り:馬蹄形に盛り付け。水切りを
しないのも戸隠蕎麦の特徴。写真は薬味
が山葵になっているが、本来は辛み大根
そば玉:新蕎麦を知らせる蕎麦屋の軒先
につるす。新酒発売を知らせる「杉玉」と
同じ役割を果たしている。
戸隠を代表する名店の呼び声が高い。戸
隠神社の中社近くにある。連休など人が
混む時期には数時間待ちになることもあ
るという。店員さんの躾の良さには際立っ
たものがある。心地よい空間である。
建築家・隈研吾 隈研吾氏が蕎麦屋を二軒設計して話題を呼んでいる。福島県須賀川の「乙宇亭」と戸隠の「奥社の茶屋」
である。隈氏は世界の名だたる建築コンペで連勝を続けたこともある日本を代表する建築家である。氏は知る人ぞ知る無類の
蕎麦好きで、蕎麦と建築について独自の哲学を持っている。氏のエッセイを要約すると、「僕は塊や面ではなく”線”の建築家で
ある。コンクリート打ちっ放し建築を好まない。僕は建築に格子状のルーバーをよく使う。ルーバーは線状であるがゆえに塊に
ならず、スキマを保ち爽やかな状態を持続できる。蕎麦も全く同様である」(雑誌「新そば」No142) この考えは最近作の歌舞伎
座設計にも脈々と生きている。また氏はチューブで「ソバチェア」をデザインしたことがある。身体に優しいチェアだと氏は言う。
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