そば切り発祥の地・・・中山道・木曽路・・・     14−7−1
そば切りの発祥地については諸説あり定かでない。先ず「信州説」だが、正保2年(1645)に俳書・毛吹草に「そば切りは信濃の国
の名物、当国より始まる」とあるのが
最古だが、芭蕉十哲の一人・森川許六の「本朝文選」(1706)にも中山道・本山宿が発祥の地
と書かれている。また、尾張藩士・天野信景の雑録・塩尻(宝永年間1704〜1711)には「蕎麦切りは甲州よりはじまる」とある。信州・
本山宿、甲州・天目山棲雲寺には夫々「蕎麦切り発祥の地」の碑が建っていて互いに譲らない。更には、相国寺を中心とする京都
禅林説(伊藤汎「つるつる物語」1987)もあって、ことを面白くしている。そば切りの発祥がソバ生産地周辺である可能性は高いと思
えるのだが、今後も場所を特定することは難しかろう。真実は藪、いや霧の中、いかにも蕎麦らしくて良いのではないだろうか。
 
本山そばの里(長野・本山) 14-6-12  中山道・本山宿と定勝寺  越前屋(長野・寝覚ノ床) 14-6-11
中山道・本山宿唯一の蕎麦屋「本山そば
の里」である。数名のお母さんが2006年
に立ち上げたお店。蕎麦切りのほかに
「そばもち・そばおやき等」もあって楽し
める。観光客でいつも賑わっている。
中山道六十九次・三十二番が本山宿。洗
馬・贄川宿の間にある。定勝寺は臨済宗
妙心寺派、木曽三大寺中の最古刹。中山
道・須原宿にある。須原宿は共同水道「水
船」が今日も名残をとどめている。
創業1624年という大老舗。元は中山道に
あって(裏)、目覚めの床と共に木曽路の
名物茶店であった。歌麿が描き、十辺舎
一九「東海道膝栗毛」、島崎藤村「夜明け
前」にも出てくる。「寿命そば」が看板。
 
そば切りの初見 穀類としてのソバの初見は、天正天皇の養老6年(722)、救荒作物として栽培を勧めた詔勅(続日本紀)で
あるが、高知県佐川町でのソバ花粉発掘によって、既に縄文初期に存在していたことが判明した。歴史は米より古いのだ。しかし
「そば切り」となるとぐっと時代は新しくなる。天正2年(1574)に行われた中山道・須原宿(大桑村)の定勝寺・仏殿修理完成に際し
寄進があり、その目録に「振舞ソハキリ 金永」とあるのが最古の文書(「番匠作事日記」)である。この古文書はその後紛失し現
在はそのコピーが定勝寺本堂脇の小部屋に掲出されている。江戸における初見は、慶長19年(1614)に書かれた近江多賀大社
の僧・慈性の日記(「常明寺へ ソバキリ振舞被申候」)であるが、常明寺が存在したのかどうか今日まで確認されていない。
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