粒・粉食三千年、麺食五百年のそば文化     14-8-1
徳島県租谷では「ソバ米雑炊」が郷土食として現在も供されている。平家落人が都を偲んで正月に食したのだという。その真偽は
ともかくも、ソバの実を粒のまま食するのがソバ食の原初的な姿であったことは容易に想像される。ソバの栽培が確認される縄文
晩期(約三千年前)以降のことであった。「粉食」は鎌倉時代の中国伝来の石臼を待たなければならないが、ソバ粒が比較的割れ
易いことから粉食は案外早かったとも考えられる。現在も各地に「そばがき(かいもち)・おやき・団子・すいとん」等が名残をとどめ
ている。次の段階は「麺食」だが、ソバはグルテンを含有しないので繋がりが悪く、「つなぎ」と技術を必要とした。「そば切り」の誕
生は16世紀(推定)になる。「粒食」から三千年、「そば切り」から五百年を数える。そば食文化の歴史は永く古い。実相は霧の中。
 
黙坊(長野・茅野市) 14-6-13  上段:投汁(とうじ)そば、下段:お焼き  もえき野(長野・朝日村) 14-6-12
長野県蓼科高原にある本格派の蕎麦屋。
店の名前は店主の祖父(歌人)の雅号か
ら採った。江戸風の辛汁。八ヶ岳産の粉
に蓼科の湧水。店内は桜の一枚板のカ
ウンター席が主。全12席のお店。
地元で採れる野菜と出汁の中へとうじ笊
に蕎麦を入れさっと温めるる。皿に受けて

具と共に食べる婚礼の披露宴に必須
だと聴いた。下段は「お焼き」を観光客に
供しているところ。(写真はネットより)
 
お洒落な広い前庭のあるお店。NHKの朝
の連続ドラマ「おひさま」に出てくる蕎麦屋
「丸庵」の技術指導を行ったのが此の店の
ご当主。普通は冬季だけのメニュー「投汁
そば」を出してくれた。暑いが旨い。
 
 
ハレのそば食 元始、そばは褻(ケ・・日常)の食であった。粒食から粉食、そして麺食へと進化するそば。上質のそば粉
の誕生と加工技術の進歩に伴って変化が起こった。そば食のハレ化が起こったのである。そばの縁起(細く長く・・・お傍に・・・
等)や長年の習慣に後押しされて、行事や接待の際に食されるようになって来た。年越しそば・引越しそば・棟上そば・雛そば・
晦日そば等・・・である。博多の承天寺では年の瀬を越せない人達にそばを振舞ったところ翌年から運が向いてきたので「運気
そば・世直しそば・福そば」と呼ばれるようになった例もある。また、婚礼の披露の宴には欠かせない振舞そばとして、信州の「と
うじそば」、会津の「祝言そば」があり、接待で有名なのは岩手県の「わんこそば」であろう。蕎麦は日本の伝統文化なのである。
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