「宝来そば」          京都 「尾張屋」 15-4-9

 尾張屋の創業は1465年、応仁の乱の二年前尾張の国から京都に移ったという老舗。もちろん創業時
 は蕎麦屋ではなく菓子屋で、宮家に出入りする「菓子司」であった。同じ「練り物」だということで寺院や
 宮家から蕎麦の注文が増え江戸中期(1700年頃)には菓子屋・蕎麦屋兼業となった。
 「宝来そば」は15代目(先代)の創作であるが、京都には昔から「漆の器に金箔を細工する工芸」が
 発達していて、作業中に多量の金箔が作業場に飛び散るため年末には「ソバ粉」を作業場に撒いて
 集め、篩にかけて金箔を回収したという。そこから、蕎麦は金を集めるシンボルでもあり「宝来」の名が
 付けられたのである。尾張屋は御所に蕎麦を納める「御用蕎麦司
となった。