大正天皇と蕎麦

 大正天皇は病弱に生まれついたため在位期間は短く、後半は病臥勝ちであったので

 蕎麦にかかわる話も皇太子時代のものに限られる。皇太子時代は自由奔放の性格で

 行幸中勝手に蕎麦屋に飛び込んでしまう等の奇行(?)も多かったと伝えられるが、

 筆者が訪ねた蕎麦屋の中で大正天皇にまつわる話を聞いたのは次の2件である。


   松江市「羽根屋」 
明治40年  山陰地方行幸の際、出雲に宿泊され「羽根屋」

    の蕎麦をお出ししたところ殊の外気に入られ、「献上そば」の名が許されたとされる。


   滋賀県「鶴喜そば本店」  明治45年  陸軍演習のため彦根に宿泊中に

    伊吹山を見ながら蕎麦の説明を聞いていた折「蕎麦を取り寄せよ」との下命があり
   
    知事・川島純幹氏が鶴喜本店に調製させたところ皇太子は満足し明治天皇に土

    産にしたと伝えられる。以来昭和天皇崩御まで、宮中年越し蕎麦は必ず「鶴喜」

    が献上していたとのことである。