近江国の蕎麦物語(最終回)

  滋賀県が、あの「出雲そば」の島根県に次いで全国そば生産量ランキング第16位で、近畿地方最大のソバ処(生産)
 であることはあまり知られていないようです。中山間地の多い滋賀県は水はけの良い冷涼な傾斜地に恵まれていて、実はソ
 バの栽培に最適なのです。

  ④平成の代に甦るソバ栽培

  ★伊吹そば(在来種)の復活 
  昭和三十八年、ソバ栽培の中心地であった伊吹山(1377m)麓にある太平寺村の集団移住によって伊吹そばの栽培
 は終わったと既に書きましたが、実は太平寺村の近隣にある峠地区で細々ながら伊吹そば(在来種)の栽培は続けられて
 きたのです。幸い峠地区は山に囲まれていたため他品種との交雑を免れていました。この地区の農家が滋賀県湖北地域
 農業改良普及センターと協力して在来種を保全しながら試験的な栽培を続け、平成十三年(2001)には伊吹そばの採種
 場になるまで生産規模を拡大したのです。姉川下流の米原市にもソバ栽培に適した水はけの良い扇状地や黒ボク土の圃
 場があったことから次第に生産規模が拡大して、平成三十年(2018)には栽培地面積40㏊・収穫量24トン達したということ
 です。米原市を中心に「伊吹そば生産組合」「米原市商工会」「市内事業者(飲食業)」が一体となって「伊吹そば」
 (在来種)の6次産業化を推進中です。
  
  かつて「山畑のみにして田畑なし、この上の太平に蕎麦を撒く、土地広漠にて民業にあまる。性味甚異なり。湖水の船より
 遠く望めば、屏風に色紙を打ちたるが如し」(膳所藩編纂「近江興地志略」享保十九年・1734)と言われた当時を目指し
 て復活の歩みを確実に進めています。個性的な蕎麦屋も米原周辺を中心に急増中です。

  ★箱館山麓に「箱館そば」が・・・
  琵琶湖の西北部にある箱館山(標高690m)麓は、寒暖の差が激しく水はけも良いので、「伊吹山ほどかいもち(、、、、)
 欲しや、石田川ほど醤油欲しや・・・」(「かいもち」とは「そばがき」の意)と三谷村(現今津町)の「そば挽き唄」にあるように、
 古くからソバ栽培がおこなわれてきましたが、昭和五十年代の米の減反政策や農家の高齢化もあって手間のかからないソ
 バ栽培への関心が高まり、ソバ栽培が本格的に拡大したのです。

  箱館山は、冬はスキー場として夏はハイキングの観光客で賑わう人気スポットですが、秋になると一面に白い絨毯を敷き詰め
 たようなソバの可憐な白い花の景観が箱館山と琵琶湖に加えて新しい観光資源のひとつになりつつあります。

  また特筆すべきは、スキー場の麓で民宿を営む日置前地区の農家がソバへの転作を決意したのですが、それにとどまること
 なく、昭和六十一年にはスキー客をターゲットにした蕎麦屋「箱館そば鴫野」を開店、期間限定営業(毎年12月10日~3月
 10日)を始めました。全国でも珍しい事例ではないでしょうか。途中で経営主体は変わったとはいえ、今年で開店して33年目、
 スキー客だけでなく蕎麦の好事家を喜ばせる存在になっています。

  ★多賀大社を中心に広がる「多賀そば」
  「お伊勢参らばお多賀(たか)へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡があります。多賀神社の祭神は「いざなぎのみ
 こと」と「いざなみのみこと」で、伊勢神宮は「天照大神」を祭っていることはご存知の通りです。つまり、伊勢神宮は多賀神社
 の子供にあたるという意味なのです。
その多賀神社周辺は近畿地方有数のソバ生産地であることはあまり知られていないよう
 です。多賀町内でソバ栽培が始まったのは平成八年頃のこと。農村の老齢化が進み休耕田が増え、その対策としてソバ栽
 培が取り上げられたわけで、もともと多賀町内に多い中山間地は冷涼で朝夕寒暖の差が強く、ソバの育成に最適な地域だっ
 たのです。
最初は小規模で始めたソバ栽培でしたが次第に生産者も増え現在では、耕地面積約80㏊・収量50~60トンに達
 し、近畿地区有数のソバ産地にまで成長しました。

  毎年10月には、多賀大社表参道絵馬通りで「多賀ふるさと楽市」が催されますが、それに並行して数年前から「多賀そば
 祭り」が開催されるようになり、そば打ちのデモンストレーションやそば打ち職人養成塾も開講され賑やかさを加えるようになりま
 した。
蕎麦屋が神社境内(参集殿)にあるのも珍しい。名前も多賀大社の延命・長寿に因んで「寿命そば」と名付けられてい
 ます。



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